速報!2009/11/27 23:42

皆様、ご無沙汰です
久しぶりの更新で、申し訳ありません
今日はまたまたお知らせです♪

なんと、福井県を舞台にした映画の制作がなされるそうです!!
しかも主人公は和紙職人
話としては、SFと民話が混じったような感じでしょうか
おさかの実家は直接のかかわりはありませんが、ご近所はばんばん出てくるようです
詳細はまた後ほど、おしらせいたします

コメント

_ ちょーこ ― 2009/11/30 15:24

>福井県を舞台にした映画の制作がなされるそうです!!
>しかも主人公は和紙職人
>話としては、SFと民話が混じったような感じでしょうか

気持ちはわかりますが、映画のほうはこれではぜんぜんわかりまへんがな(笑)

和紙職人の作った和紙を空飛ぶじゅうたんにしてタイプトリップして平安時代へいくとか(うっわーつまらなそー)、ほいで、この和紙、えろう頑丈でおわしますな、と平安貴族が言うとか。ほいで、主人公が和紙づくりに新境地をひらくとか。やめとこ。書いてていやになりますやん。

続報お待ちしておりまするよ♪

_ おさか ― 2009/11/30 16:50

ちょーこさま

>映画のほうはこれではぜんぜんわかりまへんがな
す、すみましぇん
まだ企画段階らしいので、あまり詳しく書いてもまずいかなと途中で思いなおし、こういうわけわからんお知らせになっちゃいました(汗
そもそも本当に出来るのか? 定かではありません(笑

てか、私に書かせろ原案(違うか 笑)

_ ヴァッキーノ ― 2009/11/30 21:25

民話的なSF
っていえば、昔、市川崑監督が
竹取物語を映画化してましたね。
ボクとしては
三年寝太郎を映画化してほしいなあ。
三國連太郎じゃないですよ!

おっと、ここで宣伝です。
「ヴァッキーノのこれでいいです。」
ってブログを楽天ブログではじめました。
ヨロシクおねがいします。

_ おさか ― 2009/11/30 22:31

ヴァッキーさん
おひさー♪
しかしアナタいくつブログやってんの(笑
実はひそかに、ちまちまと見てはいました、木の影から明子状態
年末年始で忙しくなる前に、またコメしにいきますねっ♪
でももう、明日から12月だねえ、はやいなあ

_ 儚い預言者 ― 2009/12/01 18:08

 興行が成功になるような企画だけを考えるのではなく、本当に真実とはということを、それこそ竹取物語のように、一見幻想に見えて、現実の移ろいに、真実が零れ出るような、そして色香りそして肌触りがある映画を見たい。

 皆夫々頑張っていますねーー。そろそろ私も狼煙を上げ、宇宙の愛を顕現させて、皆を神の座へお招きしなければいけない。なんちゃって。

_ おさか ― 2009/12/01 21:32

預言者様
狼煙ですかっ
愛の狼煙に惹かれて私もお招きされたいですう、神の座
まだまだ精進、精進ですね
がんばります♪

_ 儚い預言者 ― 2009/12/03 08:40

 愛の狼煙です、なんちゃって。

 そっとあなたに告げよう。がんばるな、ただ自分であればいい。
 それは現実を離れよ、ではなく、現実の只中で、現実を味わい、現実のその夢、或いは私の世界の知覚や感情、思考、想像にいつも自覚している状況です。自他分離しているのに、自他一致している自覚というか、この矛盾の到達点、或いは発散点に行き着くと、宇宙と私がひとつであることが強烈に気づきます。悟りと迷い、或いは聖と穢れ、その愛の運動と躊躇いが、世界を形成していることがダイレクトに感じるのです。
 それが自分というものの、薄っぺらさと同時に奥深さを痛烈に思い、自分というものの才能と自分ということの宇宙からのギフトが露になるでしょう。

 流れよ、そして泳げよ、そして大いなる目的を持て。与えるものを受け取る。宇宙の法則。

_ おさか ― 2009/12/03 15:37

きゃー、狼煙がっ♪

>がんばるな、ただ自分であればいい
ありがとうございますう(感涙
肩に力を入れ過ぎることなく、自然体で、地球と宇宙を感じながら太極拳します、じゃなかった書きます!
(まだ、続けております太極拳♪おっしょさんもお元気です)

_ 儚い預言者 ― 2009/12/03 21:18

 十字架の象徴のひとつとして、私は思うのですが、横に伸びるのが社会なら、縦はなんだろうと。
 今必要なのは、地との邂逅です。それは天と結びつく人の義務であり、権利です。それを忘れては、宇宙の塵になって人類は滅びるでしょう。
 十字架の下方向へは長いでしょ。地へのグラウディング。それこそ天へのアセンションの第一です。天地人、神の喜び。それがセットでないと単なる虚です。

 そしてどうしても言いたいのが、不足、不満、不幸せです。そうこれはこの世の習いのことだけで、宇宙にはそんなことはありません。
 これからは、幸せと必要性のない、十全たる存在としての考えを顕していこうではありませんか。

 それと理解と共感、思いやりです。上下の差別は宇宙にはありません。そしてあっても、上には上が、下には下があるので、相対的な判断が絶対にあること自体、可笑しいことです。
 だから上に行こうとすれば、本当は下への愛が必ず必要です。それがあると、勝手に押し上げられるのです。偉大なる母よ、力を与えたまえ。

 夢、愛、宇宙。

_ おさか ― 2009/12/04 21:01

預言者様
連続でのお出まし、ありがとうございます♪

>上に行こうとすれば、本当は下への愛が必ず必要です
下への愛、ですか
なるほどー
愛をふりまけばその愛にしたから押し上げられるというわけですね♪
がんばります♪

_ 儚い預言者 ― 2009/12/08 17:07

 運命とは変動である。人はこの世でしかいないのではない。成功も失敗も貴きも卑しきも経験しているのである。絶対とは相対であることだ。なぜなら、意味という命の輝きは、相対でしか絶対を顕せることが出来ないからだ。二元論の擁護でもあり、二元論の破壊でもある。
 エネルギーは振動である。物とは振動を緩めて、圧縮したものである。すべてが波動である。もしあなたが世界を我が物として掌握したいのであれば、簡単である。エネルギーの一番高い振動になればよい。そこから森羅万象が現れるのであるから。

 人間は客観視することが出来、神経組織が自分を省みるほどに複雑である。いうなれば、神以上である。
 運命は外になく、内にある。それは成功も自分の波動のひとつにあるということだ。選択できる自由が自分にあり、成功という一つの出来事にも、自分は内にあることを気づかなくてはならない。もしあなたがそうであるという波動を選択し、保持すれば、世界はそのようになる。世界はバラバラでない。ただひとつの宇宙であるからして、宇宙は正確にあなたを模倣する。

_ おさか ― 2009/12/08 20:42

預言者さま
すべては私の内にある……力強い励ましです、ありがとうございます
選びとればいいだけなのですね
振動……おっしょさんいわく太極拳は「揺れる」こと、静止することは死ぬことだ、生きている限り「揺れる」のだそうです。全然違う言葉で同じ意味の話を聞かされていることに驚きます。
ネットってすばらしいなあ
ひとつの宇宙ですね、この電脳空間も

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
スパムが多いのでクイズ認証にします。
長田製紙所の「長田」、読み方をひらがな三文字で入力して下さい

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://osasky.asablo.jp/blog/2009/11/27/4724280/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。