むかし語り(十)2010/09/25 00:22


 我らは一度命を救われた。この村に、村長に。この村が此処に無かったら、この村に貴方のような村長がいなかったなら、我らはおそらく野垂れ死んでいたか、何処かで牛馬の如く働かされ、夢も希望もない日々を過ごしていた。いわば我らは一度死んだも同じ、思いがけぬ幸運を受け生きて此処にある、僅かならぬ猶予を与えてくれた人々に報いるのは当然のこと。未来のある若者は護衛として行かせた、此処に残っているのは先行き短い老人ばかりだが、腕はまだまだ衰えておらぬ。多勢に無勢とはいえ、貴方がたが逃げる時間を稼ぐぐらいのことは出来る、力だけで押す小童どもにこの村を簡単には通らせまいぞ。村長は二人を連れて疾く村を離れろ、そして皆を守り逃げおおせろ。護衛の者たちもそれなりに鍛えてやってはおる、きっとお役に立てるだろう。

 祖父は全員の顔を見渡し、ひとりひとりの手をかたく握りしめて回ると深々と頭を下げ、弟と私と共にその家を出た。それから村を出るまで一度も口をきかず一度も振り返らなかった。

 村境を通りぬけ皆に追いつくまでの間、祖父が問わず語りに呟いた、かれらは元兵士であった、力のみを糧に、血腥い戦場で生きることに疲れ切って逃げてきた兵士たちとその家族だと。かれらが一番嫌ったのは、権力を嵩に威張り散らす小心で狡猾な輩、そういう輩が上につくと死ななくていい人間が大勢死ぬことになるからだ。あの隊長のような?と弟が聞いた。祖父は頷いた。だからあの馬を殺したの?祖父はこの質問には答えなかった。林を抜けると視界が開け、山を登っていく村人の長い列が見えた。一人が足を滑らせそうになったが、後ろにいた若者が支えて事無きを得た。ころころと小石が足元に転がってくる。奇妙に静かな行列の後ろに追いついた時、突然脳裏にある場面が蘇った。あの白馬の首、切り口をじっと検分していた祖父の右目。手を下したのが先程の元兵士たちであるとするならば、村の中にわざわざそれを投げ入れたのは誰だ?自分たちが疑われるようなことを、いやそれより先に、村の立場をまずくするようなことをあの義理堅いかれらがするだろうか。

 長々と続く行列を眺めながら、私は身震いした。

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