副読本「越前和紙の里」紹介(2)2013/01/18 19:48

さてこの本には、越前和紙の里に残るさまざまな伝説が収録されているのだが、その中でひとつ異色なのをご紹介する。紙漉き関係は出てこないのだが、今年は巳年であるということで。

「武周が池の大蛇」
昔、大滝のお金持ちの家に、美しいお嫁さんがいた。ある日お嫁さんが頭巾を川に落としてしまい、拾おうと覗きこむと、そこには怖ろしい蛇の姿が映っていた。
「わ、私は蛇だったんだ!」
お嫁さんは絶望し、誰にも言えず何日も思い悩んだ末、越知山のふもと武周ケ池にやってきた。ところが自分の正体を五平という村人に見られてしまった。
「このことは誰にも言わないで。毎日、生魚と五十文を届けるから」
と言い置いてお嫁さんは池に身を投げた。
毎日届く生魚と五十文のおかげで、五平は金持ちになった。不審がった村人に詰問され、五平は秘密を漏らしてしまう。
すると突然大洪水が起こり、現れた大蛇が五平をぐるぐる巻きにしてさらっていってしまった。

それから随分経ったあと、日照りが続いて困ったことがあった。
「これは嫁のたたりかもしれない」
お嫁さんの家のものは思い余って、武周ケ池に出かけ
「どうか雨を降らしておくれ」
と頼みながら、盃に酒を入れて浮かべた。するとその盃はすうっとひとりでに滑り出し、池の真ん中でくるくると周って沈んでいった。その日から三日三晩雨が降り続いた。

以来、武周ケ池は雨乞いの池としてうやまわれている。お嫁さんの家のものが行って雨を降らしてくれと頼むと、聞いてくれるそうだ。

「大滝」というのは私の実家のある辺り。実はこの武周ケ池、私はずっと大滝の山の何処かにあるものと思っていた。だって、大滝の家のお嫁さんだもんね。ところが調べたら、全然違う場所。現在、越前加賀海岸国定公園第2種特別地域に指定されていることからわかるように、大分海寄りだ。結構遠いよ・・・。ちなみにこのような池。
で、いろいろ検索しているうちに、違うバージョンの話も見つけた。

元々この池は、天正18年(1590)に起きた冬巳の洪水といわれる山津波が天賀峰を崩し、武周谷を堰き止め、周囲の田畑や神社に谷川の水が溢れてできたそうな。
時代は下って亨保の頃(1716~)、今の福井市内で五平は「身も心もうつろに佇む」娘を見つけ、七里の道を武周村まで連れて帰ってきた。娘は今立郡五箇庄大滝の人で名を「およせ」といった。入水を止めようとする五平に向かって娘は、
「他言しなければ毎日、魚と金銭をあげましょう。約束を違えれば七代まで祟ります」
といって池に身を沈め、大蛇に化身。

その後は同じだが続きがあって、ちょっとここに書くの怖いよ・・・興味ある方はこちらをどうぞ。今は神社も作られて、縁結びの龍神様として崇められているそうな。しかしなんでまた「大滝」の人なんでしょうね???全然縁もゆかりもない場所なのに。てことでちょっと考えてみた。

この頃はもう大滝は、和紙の産地として有名だったはずで、このお嫁さんの家が紙漉きをしていたかどうかはわからないが、神様から賜った紙漉き業(=水に関わる仕事)をしている土地の者という認識はされただろう。五平がこの娘との「約束を違えた」せいで村は何度か水害に見舞われたが、その水を生かして水道を引いたり発電所が出来たりもしている。村全体として、長い目で見ればプラスに働いている側面もある、ともいえる。だとするとやはりこの娘は単なる蛇の化身ではなく「外から来て何かをもたらす」神だったのだ。何しろ、同じように川上=村の外から来た女神に紙漉きをもたらされた「大滝」の女性だったから。

自害しようとさまよっていた大滝の女性を、村人が哀れに思ったか何かで村に連れ帰った。だが女性は池に身投げしてしまった。不幸な、かつ不思議な事件。その「わけのわからなさ」がのちの自然災害に結びついて、このような話が出来上がったのかな、と思う。
うーん、女性はどこの家の人だったんだろう?

いろいろと興味深く面白いのでまだまだ続く♪