二年 ― 2013/03/11 14:50

水と女性と紙と ― 2013/03/18 11:44
「紙の道」ペーパーロード 陳舜臣(1994)
タイトルどおり、紙とその製法がどういう道筋をたどってどのように伝わっていったかを歴史の流れに絡めつつまとめた本。
これがまた、のっけからいきなり衝撃(というと大げさだが)。
「紙以前の紙」は水辺で生まれた。
昔、水仕事を主にしていたのは女性。
麻を水にひたすと強度がますことから、「まわた」を水にさらすことも始まった。その流れから水辺で「紙以前の紙」がつくられてきた。このように水仕事の線上に紙作りがあるとすれば、人類文化の向上に尽くした女性の力は実に大きい。
・・・水道もないころの水仕事、といえば川。これが本当なら、「川上から下りてきて紙漉きを教えた」川上御前を紙祖神としていただく、漉き手が「女性」中心の越前和紙は、限りなく原点に近いものなのではないか?そして何より鳥肌が立ったのは「まわた」。私の母の実家は以前養蚕に関わっており、紙漉きの家に嫁して何年も経ってから、とある縁で「まわた」の紙を漉いた。
(詳しくはこちら)
今も夏になると実家の玄関正面、座敷の入り口に掛けられる「まわた」の暖簾。

紙の発明者は長く蔡倫だとされていたが、前漢時代の紙が大量に見つかったことから、実はさらに昔からあったことがわかった。多くの無名の人たちの創意工夫の積み重ねがまずあって、そこに人一倍有能で誠実、学問や工作好きの「官僚」(蔡倫は宦官)が目をつけ、大いなる改良を加えた。
してみると蔡倫という人は、ips細胞でノーベル賞をとった山中教授のような方か。山中教授も「決して自分だけの力で成し遂げたことではない。これまでの沢山の人の研究成果があってこそ」というようなことを仰っていた。先人の知恵や努力を尊重し、ひとつひとつ謙虚な心で臨むことが大きな仕事の成功につながるのだろう。
重くてかさばる木簡などに変わって、軽くて扱いやすい紙を使うことは、社会に画期的な変化をもたらした。紙によって印刷の技術も生まれ、それにより経典や経本が国境を越え様々な国に伝わった。文化の隆盛と製紙技術の伝来の間には、必ず因果関係があったはずである。
751年タラスの戦いで、イスラムの捕虜になった唐の紙漉き職人により、サマルカンドに製紙法が伝えられた。当時そこに住んでいたイラン系の「ソグド人」には「ソグド的」という言葉があり、曰く
みずからの才覚でより豊かな生活をもとめ、
国籍国境などを超え、
また信仰にこだわらず
世界を股にかけて活躍する
不屈の生き方
だという。
その気質は「風俗猛烈」といわれ、アレクサンドロス大王の侵攻にもゲリラ戦を以て三年間抵抗し続けた。
ソグド人・・・かっこええなあ。これが真の意味のグローバルな民族なのではないんだろうか。ただ、このような気質ゆえか、いろんな場所に散っていってしまって、生粋のソグド人というのはもう存在しないらしいが。時代が下って玄奘の「大唐西域記」によると
「体つきは大きいが、性格は臆病であり、風俗は軽薄で、詭詐がまかり通っている。おおむね欲張りで、父子ともに利殖をはかっている。財産の多い者を貴とし、身分の優劣の区別が無い。たとえ巨万の富を持った者でも、衣食は粗悪である。力田(農民)と逐利(商人)が半ばしている。」
と、わりとひどい評。
サマルカンドでは沢山の優れた紙も生まれたが、残念ながら今ではまったく廃れてしまって製法がわからない。だが現代の科学技術の発達により、復元作業の段階で滅びた技法が再発見される可能性も出てきた。
もうすぐ高2の長女が、そろそろ大学選びをしなくてはということで言い出したのが「史学部」。読書好き、地道な作業好き。もちろん歴史も好き(成績はさほど良くはないが)。さてこれは偶然か必然か。
本当の本当に「自分だけが」考えたこと・思いついたことなんか、実はただの一つもないのかもしれない。
福時~福井時間をご一緒に~今年もやりますよ! ― 2013/03/25 09:35

会期 : 4月20日(土)、21日(日)、22日(月)
時間 : 11:00 ~ 19:00 (最終日は16:00)
場所 : ふくい南青山291 2F
くわしくはこちら
東京ビッグサイトでのホテルレストランショウ(一般入場不可でした)にて展示された、大きなタペストリーも参入♪

福時は入場無料、どなたでもご覧になれます。他では中々見られない品揃え、贈り物を探すにも最適です。各種ワークショップも楽しいですよ!
場所は南青山どまんなか、春のそぞろ歩きのついでにでも、是非お立ち寄りくださいませ♪
私も三日間291におります。いらっしゃる方は行くぞー!宣言してくださいね♪
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