続いてきた理由 七2015/12/15 15:05

あっというまに師走となりました。一年早いですね。

さて、この間久しぶりに両親がこちらに来まして。子供たちが学校に行っている間、母は新宿で同窓会、父と私は兵馬俑を観に上野へ行ってきました。
特別展 始皇帝と大兵馬俑」東京国立博物館@上野
これがもう、良かった。いやもう↑これ見ただけで面白そうなのはわかりますが、予想を超えた部分で。

メインの展示物はもちろん兵馬俑で、そのリアルな体つき、表情の豊かさは比類ないものでしたが、意外なことに細かいものの展示が素晴らしくよかった。造型や細工が半端無くレベルが高い。日本がまだ縄文土器の時代に、精巧な細工を施した壺や甕、様々な武器や馬具、装飾品、水道管や瓦、漆塗まである。果ては子供のおもちゃらしき陶製の魚。量産していたらしく型まで残ってる!電気もガスもない、金属の道具もふんだんにあったわけではないだろうに、何なんだこの技術力!
学校で習った秦の始皇帝は、中国初の中央集権国家を作り、圧政をしき焚書坑儒という残虐なこともやらかした暴君というイメージだった。だがこの展示物を見て確信した。
始皇帝の時代は、技術を持つ者がその才を存分に活かし、高品質なものを作れるだけの豊かさと余裕があったのだ。
とはいえ、依頼者=権力者の意に沿わぬもの・出来が悪いものを作ったりしたらそれこそ命を取られたり、その職人だけでなく所属する工房、下手すれば村全体の存続も厳しいものになったろう。文字通り命をかけて作っていたのかもしれない。しかし、それでなくとも庶民ならば、今日はよくても明日はどうなるかわからないという時代、一か八かの勝負に賭ける意味は今よりずっと大きかったのではないか。自分の腕一本で、文字通り家族や同胞の命を支える気概は、今と比べ物にならないくらい強かったのではないか。
何より、展示されている品物のひとつひとつが、あまりにも丁寧なつくりで造形的に優れたものばかりで、ただ命令されて作っただけとは思えないのだ。作り手の並々ならぬ情熱
、意気込みがひしひしと感じられる。権力に阿らない・囚われない、自分自身の内側から湧き上がる、自由な意思と行動がそこには見える。

元々は、山あいで農耕や牧畜を営む小勢力にすぎなかった秦は、700年をかけて競合する国との戦いに勝ち抜き、始皇帝を輩出して中国初の統一帝国を築き上げた。始皇帝の死後は奸計にあい滅してしまったが、何年もかけてこの国に集められた技術者たちは、一体どこに散っていったのだろう?
海を越えた辺境の地、まだ新しい国の、そのまた奥「山あいの村」は、かつての秦を思わせただろうか?

父と娘で、夢中になって観ていてあっという間に二時間。さすがに疲れたので、公園内の精養軒にて遅いお昼。正統派洋食といった趣のビーフカレー美味しかった!
いい年してランチもお土産も父に奢って貰ってしまった。しかもこんなの笑
ありがとうございますお父様(≧∇≦)

姿勢がいつもよろしい兵馬俑さま、ダラな私を色々と支えてやってくださいませ。

参考:「始皇帝と大兵馬俑」図録(上野・国立博物館にて販売中)