森の声2018/09/07 13:44

平成最後の今年、台風に伴う豪雨突風、大阪の地震・水害、そして北海道での大地震……被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。もとより自然災害の多い国とはいえ、相次ぐ被害には戦慄を覚えます。一日も早い復興を願っております。

Frederick HarrisさんとThe Voice of the Forest TREE
ギャラリーにその名を冠する Frederick Harris氏。こちらは元東京アメリカンクラブ会長にして、何と水墨画アーティスト。綺羅星の如く輝かしい経歴を持つこの人物の肖像画の傍らに、静かに佇む和紙の木。

「この木は神の木でもある。
1500年前川上から現れて紙漉きを教えたという女神の住まう、今も自然豊かなその山に、祭りのたびに神輿を担ぎ上る。頂上にある御神木、道中に見る木々や草花や虫、さまざまな命が息づく世界を表現した。」

(和也挨拶より)

生粋のアメリカ人アーティストが産み出したギャラリーに忽然と現れた神と紙の木。都内一等地の片隅にほんの束の間存在する異空間、是非ご体験くださいませ。

長田和也個展 "The Voice of the Forest"
会期: 9/5(水)-24(火祝)
時間:午前11:00-午後9:00(最終日は午後2時まで)
場所:フレデリックハリスギャラリー
   港区麻布台2-1-2 東京アメリカンクラブB1
【入場無料】
※会員制クラブですが、ギャラリーのみ非会員でも入場できます。但し、他の館内イベント等で何らかの制限がかかることもあります。
※ご購入は会員・非会員に関わらず可能です。お受け取りは会期終了後以降になります。
詳しくは館内スタッフにお尋ねください。

(会期中は当記事をトップに表示します)

神と紙のまつり2018 その12018/09/18 16:22

9/5より始まった長田和也個展もはや折り返し地点に。
皆さま、この神と紙の木、もうご覧になられましたでしょうか?都内にお出かけ可能な方は是非ぜひお越しくださいませ。
(展示:11:00-21:00、最終日9/24(火祝)は14:00まで)
紙と神の木
さて個展での主たるモチーフとなっているこの木は、岡太神社・大滝神社は川上御前のまします奥の院近く、権現山頂上にございます。
御神木
高さ33メートル、根回り9.8メートルの大木。天然記念物「大滝の大スギ」として地元民に親しまれております。

さて少し時間を遡り、GWに行われた
紙祖神岡太神社・大滝神社1300年式年大祭
についての記事を連続で上げます。
そもそも式年大祭って何?という話は以前書いたこの記事からどうぞ
今回は御神忌(中開帳)という50年に一度という神式の大祭です。次はおそらくもう観られないだろうなと思うと、寂しいというより何か不思議な気がします。

五月二日
お下り(おおり)
白丁姿と紋付袴の駕輿丁番がかつぐ神輿で、山頂の奥の院からご神体を奉迎します。(画像は2013年。権現山中です)
お下り
なお「白丁」とはその名の通り白い衣装を着ています。(はくてい:古代日本の律令制度においては無位無官の公民、調と庸を負担した成年男子を指す)

八照宮 月尾渡御
江戸時代の祭礼記録に残る「八照宮のご神体を月尾神社に迎えた」との記述通り、150年ぶりに月尾地区へご神体が渡御(とぎょ)します。
八照宮とは大滝神社奥の院の境内社名です。つまり権現山から神輿に乗って下りてこられたご神体が、月尾地区へもお渡りになられます。月尾地区とは、権現山を挟んで反対側にある轟井という集落の辺り。これ、地図で見ると大滝神社から奥の院へ続く道と、月尾神社から権現山へ向かう道が繋がっているっぽいんだけど、昔は山を渡っていたのかしら?(後で調べよう
追記※わし太夫より情報。
「八照宮より山道を月尾神社まで下りて、月尾谷の神社を全て廻って大滝に戻って来た」とのこと。昔は月尾神社から奥の院まで神輿担いでお迎えに行っていたらしく、途中に担ぎ手の休憩所があるそうです。

権現様 奉迎
天正3年(1575)、織田信長の大瀧寺攻略の難を木留の地に逃れたご神体が、文室・五皇神社より里帰りされます。
五箇からひと山ふた山廻り込んだ場所。男大迹皇子(のちの継体天皇)が味真野にいた頃、学問所や文庫を置いていたため「文室」という地名になったそうです。こちらでも川上御前は地元の神様として崇敬されています。
雨の中、大滝神社に向かう神輿
岩本神社の上からパチリ。けっこうな雨でしたがお迎えの人出はかなりのもので、傘の列が大瀧神社までまっすぐ続いておりました。

これからふた晩、二人の川上御前が里宮に。積もる話に花を咲かせておられるでしょうか。

【参考資料】
千参百年大祭チラシ(発行:壱千参百年大祭・御神忌実行委員会)

神と紙のまつり2018 その22018/09/20 21:24

前日から続く雨の中、大祭の行事が粛々と行われます。

五月三日
法華八講
(天台眞盛宗法儀団福井教区支部の皆さま)
いまだ雨やまず、傘をさしかけつつ大瀧神社へ向かう。先導は区長さんたち
法華八講の行列
屋根は少々無粋だけれども仕方ない。それにしても皆さまお声がいい
前日からの雨のため屋根付き

あいにくの雨であまりいいお写真が撮れてない……

もっとマシな画像を観たい方は2009年大祭の方をご覧くださいませ。

そもそも法華八講て何?

法華は「法華経」、仏教の開祖・釈尊が説かれた諸経の中で、涅槃経と併せて最後に説かれたとされる経。天台宗では最高の法(一乗妙法)、仏になることのできる唯一の法(乗り物)を意味します。八巻で構成されているこの法華経を八座に分け、一座ごとに問者・講師間で問答往復(論議)させながら、仏説の真理を明らかにすることを目的とした講讃儀式法要を「法華八講」といいます。
法華経についての問答、前後に唱匿(秘曲)、散華、法華讃嘆などの伝統的な天台声明で構成される、厳粛で華麗な音楽的法要でもあります。

いつごろから、なんのために?
八世紀末ごろから、神仏習合が進む各社寺や宮中等で
追善・奨学・試験・祈願・神仏法楽
のため盛んに修されてきました。平安の頃には特に
追善供養
逆修(ぎゃくしゅ):生前に自ら仏事を営み現世安穏・後生善処を祈願
の目的で行われていたようです(源氏物語にも出てきます)。
現代でも天台系の寺院やこれらに関係の深い神社等で年中行事また節目の祭事等に執行されています。

何故大瀧神社で?
泰澄大師が開いたとする大瀧神社を、別当として管理していた大瀧寺はかつて四十八坊を擁する一大勢力でしたが、天生三年(1575)織田信長軍による一向一揆討伐の際一山ことごとく灰燼に帰します。現在確認できる最古の資料、文明年間(1469-1487)の大瀧神社文書「大瀧寺寺庫収納田数帳」にて、大瀧寺の奉仕のもと年中行事の祭祀事として法華八講が奉修されていたとあります。
大瀧寺焼滅以降、歴代領主の手厚い保護により大瀧児権現は復興しました。それまで特権的な祭祀集団であった宮座は家単位で担当する当屋制となり、年忌大祭や開帳年にあたる節目の年は、天台宗寺院であった府中印接寺・新庄村放光寺(現在ともに天台真盛宗)に出仕を依頼、法華八講を執り行うようになったようです。
その後明治期の神仏分離令により中断しましたが、平成4年(1992年)に128年ぶりに復活。今年で三回目の奉修となります。

…えーと、長々書いたわりに始まったきっかけは不明ですね(^_^;)どうもかなり昔からやってたようだからやりましょうということみたいです。神仏習合の象徴のような催しでかつては全国でこの風景が見られたらしいですが、明治以降は激減。出来れば今後も続けていってほしいものです。
だって、お坊様が神様を呼ぶんですよ!瞬間的にですが、全国の神様がこの場に集まるという……胸熱じゃないですか!

フルに行うと朝夕一座ずつ四日間で(!)講ずるものらしいですが、今回は壱の座・五の座・八の座という抜粋版。特に五の座は「薪の行道」があるため「五巻の日」として人気が高かったようです。
「法華経を我が得しことは薪こり菜摘み水汲み仕へてぞ得し」

湯立の神事
「湯の花」の神事ともいわれ、神前の大釜で湯を沸かし、神官または巫女あるいは修験者がその熱湯に笹をひたし、湯玉(湯の花)を自分の体や参詣者に振りかけ、神意をうかがったり身を浄めたりします。
(※実は今回観そこなっちゃった!でもこちらはまた観られるよ!)

奉納ライブ
大祭ならではのこの、ありえない位置!なんとお社の真正面にステージが!
(いつものお祭りでは下の境内でやります)
ステージはお社の真正面
罰当たりというなかれ、奉納ですから!地元の子供たちやお年寄り、中学吹奏楽部や大人バンドの演奏をバックアップ、楽しむ皆様の笑顔を一緒にご覧になっておられるのです、きっと(´▽`)
地元バンドの皆さま
肌寒い夜でしたが熱いステージでした!(とお約束の〆)

【参考資料】
千参百年大祭チラシ
紙祖神岡太神社・大瀧神社 壱千参百年大祭・御神忌 法華八講
(発行:壱千参百年大祭・御神忌実行委員会)
コトバンク、wikiなど