2019年2019/01/07 12:57

昨年度は沢山の皆さまに大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
画像は、北陸新幹線からの白山連峰(たぶん)。
実家で写真や資料の整理をして思ったこと。

出して・まとめて、捨てる/しまう。
何も見ず全部捨てるというやり方もアリなのかもしれないが、作業できる時間と空間と手があるならばまず出して、いちどは日の目を浴びさせた方がいい。故人のものなら特に、その人の生きてきた積み重ねでもあるから。そしてその積み重ねの中には自分も必ずいるから。まさに今その上に、日々積み重ね続ける自分が存在している。
断捨離を否定はしないけど、保存するかどうかを
使う・使わない/役に立つ・立たない
で判断しがちなところにはやや危機感を覚える。自分はどこから来たのかどう作られてきたのか、今自分が立っている場所はどう築かれてきたのか、を考えることは案外大事なことではないかとこの年になってつくづく思う。
世の中の殆どの事象はかつて誰かがやったことの焼き直しでしかない。新たな発見や発想も、必ずそれまでの歴史が土台になっている。起源=originを常に意識し容易にアクセスできるよう整備しておけば、その時代を踏まえた【根拠ある】新しいものが自ずと生まれ来るのではないか?

とはいえ、目下の所整理は全然・全く終わっていない(・・;)新年だし、専用カテゴリー作っちゃおうかしら…。

続いてきた理由 十二2019/01/17 21:39

よくよく考えたら、十一の続きを書くのをすっかり忘れてました。あれじゃ単なる懐かし紀行文に。まあ別に大したこと書いてないですけどいつも(笑)

そもそもこの帰省は、
「亡き父の資料整理をするための整理のための調査」(※誤字ではありません)
を主目的としていたわけですが、ちょうど開催されていたRENEWというイベントもついでに観たいよね!てことでお出かけ。
実家より車で20分くらいの河和田町は既にRENEW一色。
カワイイ巡回バスが走っていたり
こういうディスプレイが至る所に。
本部はこの漆器会館。中々お洒落ですね。
土曜日ということもあり沢山の車と人。しかも圧倒的に若者が多いことに驚き
絶品の山うにたこやき。わし太夫、ごちです♪
普段は静かな田舎町が、ちょっぴりメイクアップして、扉を開き風と人を通し、テントを立てて飲食を振る舞う。お洒落なポスターや看板やPOPがあっても、取り囲む山や川の風景は昔から変わらぬ姿
いつからか実家に戻ると、何百年も前にここにいて、山や空を同じように観ていた人がいたんだよねーと感慨にふけるようになったのだが、ここに来て唐突に、自分もその歴史の一つを今まさに刻んでいると実感した。何年も先に、未来の誰かが同じように今の私に思いをはせたりするのかもしれない。飾られるもの、集う人はかわっても、続いていくかぎりはきっと。

福井県というところは不思議な所で、歴史を調べれば調べる程掴みどころがなくて、よくわからなくなる。京都にほど近く海にも面していて、外との交流は昔から盛んだった。大企業こそ少ないが、何かしら商売をやっている家の多い、まさに商工業者の県。政治的にもさして目立つことはないが、何故かここという時に一定の役割を果たしている。何気に教育レベルも高い。田舎独特の閉鎖的な部分もなくはないが、外から良いものや人を呼ぶことにかけては躊躇わない。こういう「市場」的なものをやるにはまさにもってこいの力量と気質があるのだと思う。
元々市場は物の売買を介して誰もが平等であることを神に許された「場」であった。地元の神様が現役バリバリで活動してらっしゃる福井は、まさにうってつけの商いの場である。皆さま、そんな福井へ是非お越しを。