大ふすま展 二2019/09/11 09:55

さて9/7(土)、午後のメインは、
墨絵アーティスト・西元祐貴さんのライブ・ペインティング@紙の文化博物館。
兄の和紙をお使いいただいていることは知っていたし、浦和伊勢丹の展示を観に行ったこともあるけれど、ライブはこれが初。最初に言いますが、期待を遙かに超えたすばらしさでございました。観られて本当に良かった!

兄挨拶、司会者からの紹介のあと、すっと登場して、すっと描き始めた西元さん。とても静かな始まりでした。
真っ白な襖に、世界が描きこまれていく。
さらさらと音が聴こえそうな。
こうして改めて画像をみていくと、西元さんの内面だけでない、外にあるものまでも襖の内に取り込まれているようです。
線の一本一本、墨の一滴一滴が、其処に置かれることが必然とでもいいたげに振る舞っている。

形のないものを形にしていく作業は、そうとうの集中力と胆力を必要とするでしょうに、その筆致はあくまで軽やかで止まることがありません。
何だろうこの静けさは。音楽は鳴っているのに。
子供の頃、ひとり一心に何かを描いていたときのような、混じりけのない気持ちに似ている。
ドン!と大きな音がするほどの大胆な筆さばき。これほどの強さを難なく受けとめる越前和紙、流石でございます。
(本襖だと凹むかも。板張りでよかった)
沢山いた子供たちも誰一人騒ぐことなく、釘づけ。
静かに完成。

西元さんが天を仰ぐ画像、偶然に撮れたのだけど、この絵面はまさに
天から下りてきた龍と女神。

ご自身が後に語られましたが、イメージの中にあったのは、前日に滋賀で観た十一面観音だといいます。それを川上御前の姿に映したと。川上御前のまします大瀧神社にも、実は十一面観音がおられます。龍はその紙漉きに欠かせない水の神の化身でもある。本人の認識を超えたところで、いくつもの存在が重なり合い共鳴して、次々とその筆の先に流れ込んできたのではないだろうか。

artの語源はラテン語のars、ギリシャ語のテクネーに相当し、本来は自然に対置される人間の「技」や「技術」を意味する言葉であったといいます(※)。
何かを呼び、招き、それを形にする人をアーティストとするならば、西元さんはまさにそういう能力を持つ一人。
この小さな和紙の里に、目には見えないがたしかに存在するものを、この地で漉かれた紙の上に降臨させる、一種の儀式をみていたような十五分間。善きものを見せていただき、ありがとうございました。

なおこの墨絵は、「大ふすま展」の会期中(~11/11)紙の文化博物館にて展示されるとのこと。皆さま是非ぜひご覧になってくださいませ。

西元祐貴公式サイトはこちら