師匠の詩集、第三弾!2014/01/09 12:38


ジャクソン・ポロックノ絵ハ
9×0=9×(0+0)
=9×0+9×0=9×0

A÷B=C ナラ A=B×C
B=0 ナラ A÷0=C A=0×C
C×0=0 A=1 ナラ 1=0

何モナイ0デ割ッタ 1÷0=1
0ガ限リナク小サイ数ナラ 1÷0=無限大
0÷0ハ ドンナ数デモ良イトナル

ソレガドウシタッテ 言ウナラ 言ウケド
左脳デ0ノ割リ算ハ デキナイッテコトダ
右脳ナラ 0ノ加減乗除ハ自由自在ダ

新シイコトヲヤルニハ 新シイモノガ必要ニナル
ポロックノ家ノ 犬ノ名前ハ「エイハブ」ダ
ポロックノ絵ハ 鯨トエイハブガ描イタ航跡ダ

年末に届いた、師匠の詩集第三弾「戸口ニ立ツ」山川三多
(わし太夫、後で送るからね♪)

もはや毎年恒例となった詩集出版、今回はちょっぴり過激?な感じ。でもきっとまだまだこんなもんじゃないんですね。さらにさらに過激に突っ走るおつもりなのでしょう。私の母と変わらないお年なのに…と思った途端気づいたが、母もまだ現役バリバリ創作者でありました。ううむ、自分なんて人生まだまだ入り口ですね。

そう、いつもそこはかとなく叱られている気がする。お前は何をしているのだと。
いや、そこはかとなく、ではないな。はっきり、目の前で懇々と諭され、時にはバッサリと斬られてる。正座して頭を垂れるばかりです。しかし子育ては、左右どちらの脳もしっかり使う気がする。決して創作においてマイナス要素ではない。あとは時間と気遣いのやりくりってとこでしょうか。ええと何言ってるのかよくわかんなくなってきましたが、とにかく今年は頑張ります!よろしくお願いいたします。

ご興味惹かれたかたは是非どうぞ♪1月11日発売です。
「戸口ニ立ツ」山川三多                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            

引き寄せるもの2013/09/04 17:36

昨日、思いがけない贈り物が。
「和紙文化辞典」 久米康生・著 発行:わがみ堂

古書店で偶然この本を目に留めたとある方が、私と私の実家のことを思い出して送ってくださった。
わがみ堂、とは東京都文京区にある「和紙のわがみ堂」。装丁はもちろん和紙。著者の久米さんは元毎日新聞記者で、退職後から和紙の研究に専念され、去年まで和紙文化研究会の代表でいらした方。
大体が和紙というのは昔から、特殊技能故に常に時の権力者の庇護を受け、基本的に門外不出とされていた。そのせいで技術的なことのみならず歴史そのものもあまり多くの人に知られることなく、必然的に学問として専門的に研究されることもほとんどなかった。
確かに、和紙関係の本というのは探してみると、意外なほど少ない。私の知っている数少ない本には、必ずやこの久米さんの名前がある。和紙、特に昔ながらの手漉きの和紙は本当にごく一部の方の熱意により消えずにここまで来たのだなあと実感する。

しかしこの辞典、実にタイムリーで驚いた。私は紙漉きの家に生まれ育ったものの、ただそれだけで、紙漉きのことについて何も知らない。川上御前の御名を借りながらこのていたらくではいけない、と近年になって慌てて勉強している最中である。全国の和紙や道具や技、著名な職人の名前、製法の説明、全国の紙郷分布、歴史年表、和紙文化関係の主要文献に至るまで索引つきで掲載されているこの辞典、まさに今の私に必要な本だ。何かこう、逃れられない縁に引き寄せられたような、そんな気がする。

師匠、ありがとうございました。精進いたします。

なくしたものはありますか?2013/08/07 09:59

「雁の寺・越前竹人形」(1969・昭和44年) 水上 勉

大正から昭和初期にかけての福井県の情景と、腕のいい職人の技の描写はさすがの水上作品。この本、実家にもあるのでおそらく一度は読んだことがあるはずなのだけれど、どういうわけか全然まっっったく覚えていない。理解できなかったのか、はたまた途中で挫折したのか定かではないが、大人になり、もう地元で暮らした年月より外での生活の方が長くなった今では、本当に読み応えのある一冊だった。

【以下、ネタバレあり】※ご興味の湧いた方はこの先読まず、お試しあれ♪




いずれも、「母親」にまつわる「完全犯罪」のお話。特に「雁の寺」はエピソードの順序を変えれば、まんまミステリーになり得る。有名な画家の描いた襖絵のある寺の和尚が、ある日ふっと行方をくらました。残された囲われ妻と少年僧はそれぞれに事情を抱える。果たして真相は・・・といった具合に。だけど、これはこれでいいのだろうな。淡々とした日常の中で殺人を犯す人の心理の「わけのわからなさ」が、わからないままぼやけて消えていく。現代より人間関係の濃密な田舎でありながら、殺人そのものが誰にも知られず、手を下したものが不審を抱かれたり疑いをかけられることもなく、おそらく良心の呵責もさほど感じることなく、ただ時の流れに押しやられる。謎はすべて解けた!というような明快さはどこにもないが、ゆるやかに破滅に向かう登場人物たちとともに、話に引き込まれていく感じがなんともいえない。
「越前竹人形」の方はそれよりは多少明るいとも言え、何倍もドロドロした残酷な話とも言えるのだが、喜助の作り出す竹人形の美しさ・二人の束の間の幸せの輝きが、裏の事情故に一層引き立つのは確か。薄幸な生い立ちの喜助と玉枝が、ただいっときを共にし、沢山の人を魅了するような美しい竹人形を生み出した。あの時代の無辜の人としては十分過ぎるほどの「生きた証」だったのではないのだろうか。

水上氏がこの作品を描いた背景には「失われた故郷」「失われた日本」を思う心がある、とあとがきにあったが、本当にそれだけだろうか?だいたい「失われた」ものって一体何?
のどかな田舎の風景=電気もガスも水道もない、朝から晩まで重労働を強いられる生活、
寺の小僧=貧しさゆえに年端もいかないうちから寺に奉公に出され親の愛を知らない子供、
我慢強く、従順に男に仕える女性=学も無く男に頼る他生きるすべを持たない女、・・・
それ、復活させたいか?少なくとも惜しまれて無くなったものではないのでは?
そもそもこの本の登場人物たちは、自分たちが「失われた故郷」「失われた日本」の象徴のように扱われることを望むだろうか。あほなこと言いなはんな、うららんてな人間はこの先はもうおらんほうがいいわ…というんじゃないだろうか。

そうではなく「今目の前にあるもの=いつかは消えゆくもの」に対する愛、なのではないだろうか。その存在への敬意と賞賛というべきか。例えば田舎の古寺で思いがけず目にした豪奢な襖絵であるとか、旅の宿の片隅にひっそり飾られた可憐な竹人形の姿であるとか。いつか必ず朽ち果て消えゆく運命にあるが、人を惹きつけずにおかないもの、それにまつわる歴史や因縁に思いをはせることで、物語を見い出すことができたのではないかと思う。小説は誰かに読まれればいつでも「今そこにある現実」を語り出す、だからこそ何十年も、何百年も前の、今の自分とはまったく違う時代を題材にしていても、十分に愉しめるし心を揺さぶられるのだ。

自分たちが生きているこの世界が、かつて相当の重労働と、病苦や貧困に苦しめられた数多の人々によって繋げられてきたことを、時々は自覚すべきかと思う。「今」は必ず「過去」や「歴史」に繋がっている。「失われた日本」や「失われた故郷」は、誰の中にも確かに存在している。

師匠の詩集・第二弾!2013/06/18 10:30

戦術ノ自得

目立ツモノヲ 持ッテイタラ
包装紙デ 包ンデ隠ソウ
目立タナイ方ガイイ
イヤ味ニナラナイヨウ
ソレトナク周囲ニナジモウ
包ミヲ広ゲル時期ハ
機ヲ見張ッテイレバ
ドコカデ見ツカル

石垣ノ小石ニ
出番ガアルカ無イカ
ソンナ事ハ気ニシナクテイイ

機サエ逃サナケレバ
小石ノ動キヒトツデ決マル

「産み出す力」 山川三多(やまかわ さんた)
以前ご紹介した「師匠の詩集」の続編です。
パワフルでアクティブ、大変お忙しい方なのでなかなか直接お会いすることはかなわないのですが、「…実は後ろで見てらっしゃいました?」と思うくらい、言葉の一つ一つがぐぐっと身の内に入ってきます。まるですぐ隣から叱咤激励を受けてるような気分(叱咤の方がやや多い気もしますがそれは私自身の問題ですね 笑)。

誰にあてたものでもない、同時に誰もにあてたものである、
生きて躍動する言葉たちが、

これはまさに私のために書かれた詩!

と思わせてくれる。詩の力を、言葉の力を、それを感じる自分自身の力を信じられる、そんな「師匠の詩集」です。
※5/17発売、amazonでも購入できます。

「待ツ」

苦シミニモダエル人ノ
ソバニイルノハツライ
分カチ合エナイ苦シミハ
寄リソウダケデ疲レハテル

素振リニ出シテハナラナイ
コトサラノ共感モダメ
ソバニイルダケデイイノダ
ソレ以外ニ何カアルカ

苦シミニモダエテイルト
何カガ芽生エハジメル
ダンゴ虫ノ歩ミヨリモ
サラニ遅イ春ノヨウニ

気配ラシイ気配ガアリ
生キル力(ちから)ノモトニナル
ワズカバカリノウス灯(あ)カリ
待テバ手モトデ燃エテイル

福井の小説2013/06/05 11:46

以前紹介した和歌のように、越前和紙を題材にした文芸はいくつかありますが、おそらく代表的な小説がこれではないでしょうか。

「弥陀の舞」 水上勉

読んだことがないまま地元を離れ、数年前にふとしたきっかけで手に取ることになったこの本、ご当地ものどころかまさに生まれ育った場所そのものが舞台。完全なるフィクションであり、時代も離れてはいるのに、山や川や小道、風景の色や匂いさえあまりに身近に感じられ、ドキドキしながら読んだことを覚えています。取材のため長く現地に滞在したという水上氏、紙漉きの描写の緻密さには驚くばかり、おそらくもう二度とこういう話をライブで聞くことはできないでしょう。もはや和紙の里の歴史の語り部、一種の文化遺産といってもいい作品だと思います。

大雑把なストーリーとしては
「明治の福井・越前和紙の里で、身寄りのない漉き女が腕のいい和紙職人にその才を見出され、時代と周囲に翻弄されながらも腕を磨き、共に大仕事を達成する」
という、けっこう壮大なお話。舞台化もされました。

時代設定・背景
明治時代(維新直後から日露戦争のあたりまで)。

1.維新後に出た廃仏棄釈のお触れを巡り各地方は混乱。五箇でも「ぼろんか(暴論家)騒動」という暴動が起こる。寺社統一を性急に推し進めようとした僧侶に対する反抗勢力が立ち上がり、寺や戸長(今でいう区長)の建屋などを焼き討ち。すぐに鎮圧され、首謀者及び追随者は敦賀などに送られ投獄または処刑された。

2.これまでの手間のかかる和紙作りが見直され、機械化が急速に進む。五箇の中でも、伝統製法を捨て大量生産できる洋紙に走る一派も多く現れ、「漉き家」から「工場(会社)」への転換期であった。

3.維新後の混乱がおさまると、日本全体が昇り調子の景気に湧いた。特に躍進がめざましかった製糸業へ、多くの漉き女たちがこぞって流れていった。

4.当時、漉き家の規律は厳しく、男女の交際は固く禁じられていた。たとえ正式に結婚することになってもごく内輪に、その漉き家の中でひっそりと行うほどだった。

5.当時は徴兵制があり、20歳を越えた成人男性は全員検査を受ける義務があった。ただし職業軍人も多くいたので、検査結果が好成績だったとしてもただちに兵隊になるというわけではない。日清戦争前では、一定期間の訓練で除隊となるのがほとんどだった。

主要な登場人物
1.くみ
ぼろんか騒動の首謀者とされる父と、尼の母から生まれる。父は騒動後に捕まり敦賀に送られて処刑され死亡、母は京都に出奔。残されたくみは事情をまったく知らされないまま、母のいた寺の庵主の庇護により育つ。まもなく文室(ふむろ)の農家にもらわれていくが、養母に実子が生まれたことで邪険にされるようになり、大滝の漉き家に奉公に出される。その後紙漉き職人の上林弥平のもとで働くことに。
美しく聡明で働き者、忍耐強く、冷静で腕もいいが、薄倖な生い立ちにより内面に欠落を抱え、男女の愛情面ではバランスを欠く。紙漉きが彼女のよりどころであり、誇りであり、生きがい。

2.上林弥平
時流に流されず、頑固に古来製法を守る筋金入りの職人。妻もめとることなく長年独りで紙を漉いてきた。何でも西洋風に傾きつつある日本を嘆き、昔ながらの技を研究し継承していくことに使命感を持っている。

と、ここまで書くとかなりストイックな大河ドラマといった趣ですが、なかなかどうして人間臭く、ドロドロした側面もあるお話です。
腕の良い漉き女は非常に男性にモテたようで、
「紙いじる女(こ)は、みな男を好く」
なんて言葉も出てきます。ドラマにしても時間早めの枠は無理かも(^_^;)。

とにかくこの人たちが、私の実家周辺を行ったり来たりなさるわけです(笑)。大瀧神社はもちろん、文室の子安観音とか、腹帯つくってもらう呉服屋さんとか、造り酒屋さんだとか。もちろん今と同じではなく相当に変わってはいるのですが、基本的な空気感が同じというか・・・色んな意味で地元民の心をざわつかせる本です。
これ、大滝に来たことのない人が読んだうえで実際に訪れてみたらどう感じるのだろう?えー全然違うじゃん、と思うのか、イメージ通り、となるのか・・・非常に興味深い。

※※以下、ネタバレというかあらすじ書くので、「弥陀の舞」を読みたくなった人は飛ばしてください(ながーいです)※※


あらすじ
私生児として生まれ、親の愛情を知らずに育った主人公くみは大滝村の漉き家で働く。紙漉きの腕も見目も良いくみは、14歳にして恋人ができ結婚の約束もするが、周囲に「まだ早い」として反対され、引き離されてしまう。恋人は東京に追いやられ、寂しさに耐えかねたくみは言い寄ってきた同僚の男と浮気、すぐに周囲の知るところとなり、さらに妊娠も発覚。くみを持て余した漉き家の主人は、ちょうど手伝いの漉き女を探していた腕利きの職人・弥平にくみを託す。

弥平の家に住み込みで働くことになったくみはやがて女の子を生むが、恋人の耳にもくみの裏切りの噂は届いていた。お前の子だ、許して嫁に貰ってやれという弥平の説得もむなしく、恋人は去っていく。子どもは誰にも認知して貰えず、やむなく弥平の子として役場に届けたので、周囲は「いっそ嫁に貰っては」とすすめる。が弥平は、親子ほどの歳の差と、仕事に対する集中力や緊張感を無くすことへのおそれで、一歩踏み出す気になれない。若く美しいくみに強く惹かれながらも、あくまで親子のような、師弟のような関係を保とうとする。

結局くみは、かつての浮気相手と結婚、弥平の家の敷地内に所帯を構える。かねてからくみの親の消息を探っていた弥平は仕事で京都に行き、母らしき女性に会うも相手は頑として認めず、仕方なくくみの漉いた和紙見本を置いて帰る。

くみと夫は弥平の指導のもと真面目に紙漉きに取り組み、夫婦円満で新たに子どもも生まれる。ところが平穏な日々もつかの間、日露戦争に出征したくみの夫が戦死。弥平はまだ若いくみに再婚をすすめるが、くみは「もう男はいらない。紙漉きひとすじに、ここで暮らしたい」とはねつける。

その後、弥平に大きな仕事の話が来る。以前から日本画家の間で評価の高かった弥平の紙が認められ、京都の寺の壁画に使われることになったのだ。巨大な特漉きの紙のため、道具から何から一から作らねばならない、村をあげての一大仕事。弥平とくみは互いに協力しあいながら、多くの漉き手たちを束ね、やり遂げる。

程なく壁画が完成し、盛大な祝典が行われた。急病で倒れた弥平の代わりに子連れで参加したくみは、そこで一人の尼に出会う。その尼こそはくみの母だったが、お互いにそうと理解しつつも名乗らないまま短い邂逅を終える。

弥平の死後もくみは「弥平紙」を受け継ぎ、育てた三人の子どもも、いまだ紙を漉きつづけている。
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くみと弥平の関係は、親子でもあり、男女でもあり、一緒に仕事をしていく対等な仲間でもあります。二人は最後まで男女として結ばれることこそありませんが、だからこそ本質的な部分で深く理解し合うことができた、といえます。結果的に誰より長く一緒に過ごしたわけですしね。女としてのくみにも強く魅力を感じながら、あえて「やせ我慢」を貫く弥平の優しさと男気には大変ぐっと来ます。

魔性の女・くみさんのイメージは若いころの田中裕子さんをふっくらさせた感じ?
今の若い女優さんは皆細くて、従来の日本人体型の方はいらっしゃらないので、映像化は厳しいかなあ。