師匠の詩集2012/07/18 16:10

「希望」

取リ戻シタイノハ
過去デハナイ

過ギテシマッタ
時間デモナイ

取リ戻シタイノハ
未来デアル

アノ輝イテイタ
希望デアル

7/10に発売されました、わたくしの師匠の詩集「ざまぁみろ」。
帯の煽り文句が凄い。読めるかな?ズームしてみて。
裏表紙はこう。
私、書くこと無いかも。ホントにこのとおりの方なので…いやジジイというのはちょっとアレですが(笑)。大恩ある師匠の詩集は、昔書かれていたエッセイなどの文章よりずっとずっと師匠その人に近い、いやそのものといっても過言ではない。パワフルかつ情熱豊か、それでいてクールで洒脱、今なおつんつんに尖っている。年の功というのもおこがましい、到底かなわない。若輩者のわたくしはひれふす他ありません。

そんな師匠に「宣伝するように」と秘密指令(?)を受け、敬文舎の方にも許可を得たので、一部掲載しておきます。
読了一度目のお気に入り。なんだか美味しそうなので。

「イイダコ」
タコハ
自分ノ孵化ヲ
見タノカ

釣リニ来タノニ
コノアリサマダ

舟ベリヲタタク
音ガサワギ
首ノマワリニ
風ガ来ル
舟ガ揺レル

風ガヤム
イイダコガ
ポチポチ釣レル

釣ッタバカリヲ
口ヘ放リコム

風ガ遊ブ
風ガヤム

タコガ自分ノ死ヲ
見タノカドウカ

ヤメタヤメタ
釣リヲヤメタ
胴ノ間ニ寝転ガル
音ガアル

ざまぁみろ」山川三多 は
首都圏の大手書店(ジュンク堂、紀伊国屋、丸善、啓文堂書店など)
にて販売中です。売上は全額、東北復興のため寄付されるとのこと。

お問い合せは株式会社 敬文へ。今後歴史関係の書籍を扱う、出来立てホヤホヤの出版社だそうです。
住所:東京都新宿区西新宿3-3-23ファミール西新宿405
電話:03-6302-0699 fax:03-6302-0698
E-mail:keibun-sha@aria.ocn.ne.jp

【7/19追記】
7/28より、amazonでも発売予定、ただ今予約受付中。「ざまぁみろ」山川三多で検索しませう♪

むかし語り(十三)2010/10/04 23:05


 雨は上がり風もやみ、凪いだ朝の海を船が行く。船底に隠れていた弟と私はすぐに見つかり、祖父の前に引っ張り出された。大人たちの叱責の声をものともせず、私は背筋をしゃんと伸ばし言った、私はたしかにまだ年若いし半人前だが、れっきとした職人である、祖父も私を有望だと褒めてくれたではないか。もう父母の助けがなければ生きられない幼児でもない、自分の面倒は自分でみる、何としても私は祖父と一緒にいきたいのだ、どうしても駄目というならここから落とせ、泳いででもついていく。船の縁に足をかけようとする私を周りの大人は慌てて止めたが、祖父は微動だにせず、一言も言葉を発しない。するとずっと黙っていた弟が口を開いた。我は祖父に命を救われた、その左目と引き換えに我はここに生きている、だから我の命は祖父とともにあるべきなのだ。船の上はしんと静まった。弟は更に言った、これが我のすべき仕事である。

 その言い方は祖父にそっくりだった。周りの大人達は固唾をのんで祖父の顔を見つめていた。祖父は低く笑って、わかった、二人とも好きにしろ、ただし皆の足を引っ張らないようにするのだぞといった。船の上は歓声に包まれ、弟と私は大人たちにもみくちゃにされた。雲ひとつない青空の下、眩しく輝く海原の向こうの島。高鳴るばかりの胸の奥に時折よぎる不安の正体を、その時の私はまったく理解していなかった。

むかし語り(十二)2010/09/29 21:38

越えた山はひとつだったのかふたつだったのか、本当に上からそんな様子が見えていたのか、今となれば定かではない。だが村が攻められたこと、残って迎え撃つものがいたこと、無事に逃げおおせたものが山を越え海に出て、櫂を漕ぎ渡っていったこと、それはたしかなことだ。

行く先々で私たちは不思議なほど歓待された。その地を離れる時には決まって、皆が沢山のお土産を押しつけるように渡し、見えなくなるまで手を振り続けていた。祖父に理由を聞くと、昔の知り合いだとしか答えない。いったい何人の知り合いがいるのか、しかも単なる顔見知り程度ではない、彼らの祖父を見る目は、村に残った男たちのそれと同じだった。私はあまりに祖父のことを知らないでいた。

船は陸に沿って南進し、やがて海岸線が途切れる海の向こうに「大きな島」がぼんやりと見えてきた。さほど遠くにも思えなかったが、祖父はそこで女子供や年寄りを船から下ろした。ここから先は何もない海を渡る、今までとはまったく違う危険な旅だ。幸い南端の村は豊かで、彼らを受け容れる余裕は十分にあった。まだ若い村長は祖父にすっかり敬服していたので、後の事は心配ない、全て任せてくれと胸を叩いた。

乳飲み子や、体の弱い年寄りを抱えた家族が、すすり泣きながらも従った。私と弟も父母とともに下ろされた。祖父は言った、二度と会えないとは思うな、わしらの結びつきは距離や時間で隔たるものではない。己のすべき仕事をせよ、それでわしらは繋がるのだ。

その時、水滴が祖父の盲いた左目の上に落ちた。見る間にたちまち大粒の雨となり雷まで鳴り出した。雨は夜半過ぎまで降り続き、出航を阻んだ。

むかし語り(十一)2010/09/27 11:44

 


馬では上がれない急な山道、しかも半分は女子供や老人を連れての道行き故、歩みは決して速くはなかったが、普段からたゆみなく働くことに慣れた者ばかり、程なく山頂に着いた。休息をとるうち下を見ると、地鳴りのような鬨の声とともにもうもうたる土煙が村に向かっている。それは村の手前で一旦止まるも、じりじりと前に進んでいく。土煙が村の半分を覆う前に出発の合図がされ、皆後ろ髪を引かれながらも、転がるように降りていった。馬を連れた兵隊たちには山越えは難しい、無傷であればこそ、少なからず損害を受けているのであればなおさら。

 殿をつとめた数人の話によると、土煙は随分長いこと村に留まり、やがて火を噴いた。村全体が火に包まれたところまで見届けた者たちは唇を噛んで黙りこみ、残った者たちと特に親しかった男は人目も憚らず声を上げて泣いた。山の麓でしばし彼らのために祈ったあと、祖父が行くぞと声を上げた。いつもと同じ、力強く凛とした声であったが、何故か私には祖父が泣いているように聞こえた。弟が姉さん泣くな、立てと言った。涙を流していたのは私の方だったのだ。

 それから昼となく夜となく歩き続け、皆の疲労が頂点に達した時、誰かが叫んだ。海だ、海が見えるぞ。小さな丘を越え林を抜けると、石のように重くなった足に潮の香りが沁みた。

むかし語り(十)2010/09/25 00:22


 我らは一度命を救われた。この村に、村長に。この村が此処に無かったら、この村に貴方のような村長がいなかったなら、我らはおそらく野垂れ死んでいたか、何処かで牛馬の如く働かされ、夢も希望もない日々を過ごしていた。いわば我らは一度死んだも同じ、思いがけぬ幸運を受け生きて此処にある、僅かならぬ猶予を与えてくれた人々に報いるのは当然のこと。未来のある若者は護衛として行かせた、此処に残っているのは先行き短い老人ばかりだが、腕はまだまだ衰えておらぬ。多勢に無勢とはいえ、貴方がたが逃げる時間を稼ぐぐらいのことは出来る、力だけで押す小童どもにこの村を簡単には通らせまいぞ。村長は二人を連れて疾く村を離れろ、そして皆を守り逃げおおせろ。護衛の者たちもそれなりに鍛えてやってはおる、きっとお役に立てるだろう。

 祖父は全員の顔を見渡し、ひとりひとりの手をかたく握りしめて回ると深々と頭を下げ、弟と私と共にその家を出た。それから村を出るまで一度も口をきかず一度も振り返らなかった。

 村境を通りぬけ皆に追いつくまでの間、祖父が問わず語りに呟いた、かれらは元兵士であった、力のみを糧に、血腥い戦場で生きることに疲れ切って逃げてきた兵士たちとその家族だと。かれらが一番嫌ったのは、権力を嵩に威張り散らす小心で狡猾な輩、そういう輩が上につくと死ななくていい人間が大勢死ぬことになるからだ。あの隊長のような?と弟が聞いた。祖父は頷いた。だからあの馬を殺したの?祖父はこの質問には答えなかった。林を抜けると視界が開け、山を登っていく村人の長い列が見えた。一人が足を滑らせそうになったが、後ろにいた若者が支えて事無きを得た。ころころと小石が足元に転がってくる。奇妙に静かな行列の後ろに追いついた時、突然脳裏にある場面が蘇った。あの白馬の首、切り口をじっと検分していた祖父の右目。手を下したのが先程の元兵士たちであるとするならば、村の中にわざわざそれを投げ入れたのは誰だ?自分たちが疑われるようなことを、いやそれより先に、村の立場をまずくするようなことをあの義理堅いかれらがするだろうか。

 長々と続く行列を眺めながら、私は身震いした。