むかし語り(九)2010/09/15 23:48

 荷を作るとはいえ、家財道具など殆ど無い。ただそれぞれの技を振るうための道具がいくつかあるばかりだ。祖父は言った、どうしてもこれだけというものを一つだけ持て。女たちは赤子を背負い、男たちは道具と食料の入った袋を担いだ。若衆の中には、使い慣れた道具を置いていくことに不平を言うものもいたが、年配の者にお前は何のために日々腕を磨いていたのか、道具に頼るなど未熟者の証拠と一刀両断され、項垂れながら皆の後に続いた。

 祖父が戻ってから僅か二日後の早朝、一行は出発した。先頭に護衛を置き、年配者と女子どもを先に歩かせ、後ろから男たちが様子を見ながら徐々に村を出ていった。祖父は村はずれに立ってあれこれと指示をした。私もその傍にいた、祖父と一緒にいるといって聞かなかった弟のため残ったのだ。私もまだ十代の子どもではあったが、村の子どもたちの中では一番体格がよく、力もあった。対して弟は他の子より随分小さかった。弟は祖父の足手まといになるのではないか、自分がいれば何かの助けになる、生意気盛りだった私はそう信じ込んでいた。

 最後の一人が村はずれを通りかかった。独り者の若い男だ。しきりに後ろを気にしている。どうした、と祖父が聞くと、出発しようとせず残っている者がいるという。村の人間の顔や声はもちろん家族構成まで全て覚えていた祖父は既に気づいていた、まだここを通っていないものがいる。とりあえず男を先に行かせると、祖父はまっすぐ彼らの家に向かった。

 その家には中年の兄弟が二人、刀の手入れをしていた。壁に立てかけられた大小様々の刀が鈍い光を放つ。二人が何者か祖父にはよくわかっていた、数年前に戦場となった村から逃げてきた一家の男たちだ。その身につける技として刀鍛冶を選んだ彼らは、元々が器用であったのか短期間で前からいた者より優れた腕前を得た。彼らの妻子たちは随分前に村を出ている、おそらく後から追っていくと言い含めたに違いない。祖父が口を開く前に、兄の方がこちらに向き直り言った。我らは此処に残る、先に行かれよ、と。

むかし語り(八)2010/09/10 22:40

 国は乱れていた。常にどこかで争いがあり、家や田畑が焼かれ、人は逃げ惑う、それが常のことだった。村が享受していた平和は永久のものではない、かつて自らの曾祖父とともにこの地に逃げてきた祖父は、誰よりもそのことを理解していた。祖父に年の近い者たちは直ちに荷造りを開始した。若い者たちはおさまらない。何故この住み慣れた土地を捨てて逃げねばならないのか、我々は技を持つ者、王もこの村に手を出す筈がない、今までずっと大丈夫だったではないか。
 祖父は静かに首を横に振る。今までとはどのくらいの期間をいうのか。お前たちが生まれる少し前までは、若い男は根こそぎ兵隊に取られ、残ったのは女子供と老人だけ、日々の暮らしに追われながら、生きる道はこれしかないと皆で手技を磨いた。その積み重ねが王に認められた、だがそれは、技術を重んじる今の王の間だけだ。王は今謀反にあって戦っている、相手は強く王は劣勢である、もしこのまま負けるということになればこの村はただでは済まない。謀反人は我々の手技など歯牙にもかけない、民は力で抑えればよいというお方だ、例の隊長のようにな。祖父は一気に言い放つと、白馬の生首を指さした。見るがよい、あれが此処にあることの意味を考えろ。あの白馬の持ち主は、今の王に弓引く者であると、都でわしは聞いた。
 長い沈黙の後、若衆の中でも一番賢く腕ききで、人望も厚い男が口を開いた。つまり我らの村は謀反人に敵方だと思われている、そういうことか。祖父は微動だにしない。男は更に言った、いや思われている、のではない、お前らは敵だと、向こうはすでにそう決めているのか。祖父は頷き、穏やかだがよく通る声を上げた。
 謀反人の軍は既に近くまで押し寄せており、あの山を越えてくるのもすぐだ。もはや一刻の猶予もならない、皆この土地を捨て、逃げるのだ。山が駄目なら何処へ、赤子をおぶった女が怯えた顔で問うた。祖父は答えた、海だ、海に逃げるのだ。海の向こうには人の住む大きな島があると聞いたことがある。必要と有らば海を越え、二度と追手のかからない遠くへ逃げよう。弟は祖父のすぐ側で、反りくり返らんばかりにその顔を見上げていた。

むかし語り(七)2010/09/06 14:28

 祖父の一行だった。緋色の刺繍の入った上着を着た都の役人らしき者とともに馬に乗っている。貴重な手技を持つ村の不審火を重く見た王が、すこしでも速く村に戻れるようにと取り計らったのだ。先の村長は前に進みでて頭を垂れ、人の輪を払って馬の生首を露にした。若い役人の顔色が変わったが、祖父は黙って生首のすぐ側にしゃがみ込むと、じっとその乾きかけた切り口を見ていた。先の村長が途切れ途切れに語る。村の外から持ち込まれたことは明白であること。誰も何も見ていない、何も聞いていないこと。祖父はわかったと頷くと役人を促して己が家にいざない、しばらく出て来なかった。陽が高く差し昇り、行き交う人々の影が短くなった頃、若い役人は馬を飛ばし村を出て行った。

 不審火の沙汰はどうなったのか、それにあの生首の件は。役人の姿が村境を越えて消えた途端、皆が祖父の元に集まりだした。祖父は皆が揃ったのを確かめると言った、戦が始まるぞ、と。

むかし語り(六)2010/09/02 15:29

 瞬く間に五日が過ぎた、その朝のこと。一番鶏が鳴く前の薄闇を切り裂くように悲鳴が響いた。慌てて飛び出して来た村人の目に映ったのは、道の真中にうち捨てられた白馬の生首だった。見ると、引きずったらしき跡がある。土と埃にまみれた血の跡は、延々村の外までつづいていた。
 長のいない村は騒然となった。白馬が、あの隊長のものであることは明白だった。いったい誰がこんなことをやらかしたのか。発覚すれば死罪はまぬがれないどころか、村全体が謀反の意ありと見なされるかもしれない。下手をすれば全員獄に繋がれるか、兵役や労役に引き立てられるか、いずれにしろただではすまない。留守を預かる先の村長であった老人が、真っ白な髭を震わせながら言った。誰がやったか、知っている者はおるか。あやしき振る舞いを見た者、あやしき物音を聞いた者はおらんか。家族の中に様子のおかしい者はおらんか。
 村中水を打ったように静まり返った。誰一人、返事をする者はない。先の村長は苦々しげに首を振りながら、村はずれ近くに住む女に声をかけた。首は夜のあいだに運ばれたはず、何かを引きずるような音はせなんだか。背中に乳飲み子、右手に幼子をまとわりつかせた寡婦は縮み上がりながら、何も気づかなかった、うちは日が落ちるとすぐ子どもと一緒に寝てしまう。このところ夜泣きも収まったので、そのまま夜明けまで目が覚めない。先の村長は、その隣そのまた隣と、順に聞いていったが、皆知らない、気づかなかったと言うばかりだった。誰ひとりとして嘘をついたり隠したりしているようには見えなかった。
 馬の蹄の音が近づいてきた。皆が一斉に振り向いた。

むかし語り(五)2010/08/30 15:59

最初の火は村はずれの鶏小屋で出た。幸いけが人などはいなかったが、逃げ遅れた雌鳥数羽が卵と共に焼けた。三日後に道具小屋の戸口、その翌日、伯母の嫁ぎ先の家の屋根が燃えた。いずれもすぐに消し止めたものの、まったく火の気のない場所であったので、祖父は皆に手分けして見回りを行うよう指示した。大人たちと一緒に歩いていた弟が、先端が焼け焦げた矢を見つけた。村の者が猟のために使う矢とは違い、ずっと丈夫で、上等そうな羽飾りがついていた。早速祖父の元に男衆が集った。誰かが、これは兵隊の使うものだ、といった。こんな立派な矢は、この村の誰も持ってはいない。きっとあいつだ、と誰かが叫んだ。まだ仕返しが足りていないのだ、誰か死ぬまで止めないに違いない。いきり立つ若者たちを、祖父が右目だけで睨み黙らせた。不審火であることは間違いがない故、わしがこの事態を報告しに王の元に参じる、いっそう厳重に警備を行うように。もしわしのいない間に、誰が火をつけたのか判明しても、絶対に手出しはするな、王の裁きを待つのだ。

 翌日夜も明けぬうちに、祖父、祖父と同じ年回りの男ばかり数人が連れ立って村を出て行った。王のいる宮までは山を越えねばならない。どんなに急いでも三日はかかる。山賊も匪賊も出る。弟も一緒に連れていってくれるよう泣きながら頼んでいたが、祖父は頑としてきかなかった。皆で村はずれまで一行を見送った。やがて日の光が祖父の背中を照らす。山際から顔を出した太陽は血のように赤く、奇妙にぼやけていた。