神と紙のまつり2018 その22018/09/20 21:24

前日から続く雨の中、大祭の行事が粛々と行われます。

五月三日
法華八講
(天台眞盛宗法儀団福井教区支部の皆さま)
いまだ雨やまず、傘をさしかけつつ大瀧神社へ向かう。先導は区長さんたち
法華八講の行列
屋根は少々無粋だけれども仕方ない。それにしても皆さまお声がいい
前日からの雨のため屋根付き

あいにくの雨であまりいいお写真が撮れてない……

もっとマシな画像を観たい方は2009年大祭の方をご覧くださいませ。

そもそも法華八講て何?

法華は「法華経」、仏教の開祖・釈尊が説かれた諸経の中で、涅槃経と併せて最後に説かれたとされる経。天台宗では最高の法(一乗妙法)、仏になることのできる唯一の法(乗り物)を意味します。八巻で構成されているこの法華経を八座に分け、一座ごとに問者・講師間で問答往復(論議)させながら、仏説の真理を明らかにすることを目的とした講讃儀式法要を「法華八講」といいます。
法華経についての問答、前後に唱匿(秘曲)、散華、法華讃嘆などの伝統的な天台声明で構成される、厳粛で華麗な音楽的法要でもあります。

いつごろから、なんのために?
八世紀末ごろから、神仏習合が進む各社寺や宮中等で
追善・奨学・試験・祈願・神仏法楽
のため盛んに修されてきました。平安の頃には特に
追善供養
逆修(ぎゃくしゅ):生前に自ら仏事を営み現世安穏・後生善処を祈願
の目的で行われていたようです(源氏物語にも出てきます)。
現代でも天台系の寺院やこれらに関係の深い神社等で年中行事また節目の祭事等に執行されています。

何故大瀧神社で?
泰澄大師が開いたとする大瀧神社を、別当として管理していた大瀧寺はかつて四十八坊を擁する一大勢力でしたが、天生三年(1575)織田信長軍による一向一揆討伐の際一山ことごとく灰燼に帰します。現在確認できる最古の資料、文明年間(1469-1487)の大瀧神社文書「大瀧寺寺庫収納田数帳」にて、大瀧寺の奉仕のもと年中行事の祭祀事として法華八講が奉修されていたとあります。
大瀧寺焼滅以降、歴代領主の手厚い保護により大瀧児権現は復興しました。それまで特権的な祭祀集団であった宮座は家単位で担当する当屋制となり、年忌大祭や開帳年にあたる節目の年は、天台宗寺院であった府中印接寺・新庄村放光寺(現在ともに天台真盛宗)に出仕を依頼、法華八講を執り行うようになったようです。
その後明治期の神仏分離令により中断しましたが、平成4年(1992年)に128年ぶりに復活。今年で三回目の奉修となります。

…えーと、長々書いたわりに始まったきっかけは不明ですね(^_^;)どうもかなり昔からやってたようだからやりましょうということみたいです。神仏習合の象徴のような催しでかつては全国でこの風景が見られたらしいですが、明治以降は激減。出来れば今後も続けていってほしいものです。
だって、お坊様が神様を呼ぶんですよ!瞬間的にですが、全国の神様がこの場に集まるという……胸熱じゃないですか!

フルに行うと朝夕一座ずつ四日間で(!)講ずるものらしいですが、今回は壱の座・五の座・八の座という抜粋版。特に五の座は「薪の行道」があるため「五巻の日」として人気が高かったようです。
「法華経を我が得しことは薪こり菜摘み水汲み仕へてぞ得し」

湯立の神事
「湯の花」の神事ともいわれ、神前の大釜で湯を沸かし、神官または巫女あるいは修験者がその熱湯に笹をひたし、湯玉(湯の花)を自分の体や参詣者に振りかけ、神意をうかがったり身を浄めたりします。
(※実は今回観そこなっちゃった!でもこちらはまた観られるよ!)

奉納ライブ
大祭ならではのこの、ありえない位置!なんとお社の真正面にステージが!
(いつものお祭りでは下の境内でやります)
ステージはお社の真正面
罰当たりというなかれ、奉納ですから!地元の子供たちやお年寄り、中学吹奏楽部や大人バンドの演奏をバックアップ、楽しむ皆様の笑顔を一緒にご覧になっておられるのです、きっと(´▽`)
地元バンドの皆さま
肌寒い夜でしたが熱いステージでした!(とお約束の〆)

【参考資料】
千参百年大祭チラシ
紙祖神岡太神社・大瀧神社 壱千参百年大祭・御神忌 法華八講
(発行:壱千参百年大祭・御神忌実行委員会)
コトバンク、wikiなど

神と紙のまつり2018 その12018/09/18 16:22

9/5より始まった長田和也個展もはや折り返し地点に。
皆さま、この神と紙の木、もうご覧になられましたでしょうか?都内にお出かけ可能な方は是非ぜひお越しくださいませ。
(展示:11:00-21:00、最終日9/24(火祝)は14:00まで)
紙と神の木
さて個展での主たるモチーフとなっているこの木は、岡太神社・大滝神社は川上御前のまします奥の院近く、権現山頂上にございます。
御神木
高さ33メートル、根回り9.8メートルの大木。天然記念物「大滝の大スギ」として地元民に親しまれております。

さて少し時間を遡り、GWに行われた
紙祖神岡太神社・大滝神社1300年式年大祭
についての記事を連続で上げます。
そもそも式年大祭って何?という話は以前書いたこの記事からどうぞ
今回は御神忌(中開帳)という50年に一度という神式の大祭です。次はおそらくもう観られないだろうなと思うと、寂しいというより何か不思議な気がします。

五月二日
お下り(おおり)
白丁姿と紋付袴の駕輿丁番がかつぐ神輿で、山頂の奥の院からご神体を奉迎します。(画像は2013年。権現山中です)
お下り
なお「白丁」とはその名の通り白い衣装を着ています。(はくてい:古代日本の律令制度においては無位無官の公民、調と庸を負担した成年男子を指す)

八照宮 月尾渡御
江戸時代の祭礼記録に残る「八照宮のご神体を月尾神社に迎えた」との記述通り、150年ぶりに月尾地区へご神体が渡御(とぎょ)します。
八照宮とは大滝神社奥の院の境内社名です。つまり権現山から神輿に乗って下りてこられたご神体が、月尾地区へもお渡りになられます。月尾地区とは、権現山を挟んで反対側にある轟井という集落の辺り。これ、地図で見ると大滝神社から奥の院へ続く道と、月尾神社から権現山へ向かう道が繋がっているっぽいんだけど、昔は山を渡っていたのかしら?(後で調べよう
追記※わし太夫より情報。
「八照宮より山道を月尾神社まで下りて、月尾谷の神社を全て廻って大滝に戻って来た」とのこと。昔は月尾神社から奥の院まで神輿担いでお迎えに行っていたらしく、途中に担ぎ手の休憩所があるそうです。

権現様 奉迎
天正3年(1575)、織田信長の大瀧寺攻略の難を木留の地に逃れたご神体が、文室・五皇神社より里帰りされます。
五箇からひと山ふた山廻り込んだ場所。男大迹皇子(のちの継体天皇)が味真野にいた頃、学問所や文庫を置いていたため「文室」という地名になったそうです。こちらでも川上御前は地元の神様として崇敬されています。
雨の中、大滝神社に向かう神輿
岩本神社の上からパチリ。けっこうな雨でしたがお迎えの人出はかなりのもので、傘の列が大瀧神社までまっすぐ続いておりました。

これからふた晩、二人の川上御前が里宮に。積もる話に花を咲かせておられるでしょうか。

【参考資料】
千参百年大祭チラシ(発行:壱千参百年大祭・御神忌実行委員会)

森の声2018/09/07 13:44

平成最後の今年、台風に伴う豪雨突風、大阪の地震・水害、そして北海道での大地震……被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。もとより自然災害の多い国とはいえ、相次ぐ被害には戦慄を覚えます。一日も早い復興を願っております。

Frederick HarrisさんとThe Voice of the Forest TREE
ギャラリーにその名を冠する Frederick Harris氏。こちらは元東京アメリカンクラブ会長にして、何と水墨画アーティスト。綺羅星の如く輝かしい経歴を持つこの人物の肖像画の傍らに、静かに佇む和紙の木。

「この木は神の木でもある。
1500年前川上から現れて紙漉きを教えたという女神の住まう、今も自然豊かなその山に、祭りのたびに神輿を担ぎ上る。頂上にある御神木、道中に見る木々や草花や虫、さまざまな命が息づく世界を表現した。」

(和也挨拶より)

生粋のアメリカ人アーティストが産み出したギャラリーに忽然と現れた神と紙の木。都内一等地の片隅にほんの束の間存在する異空間、是非ご体験くださいませ。

長田和也個展 "The Voice of the Forest"
会期: 9/5(水)-24(火祝)
時間:午前11:00-午後9:00(最終日は午後2時まで)
場所:フレデリックハリスギャラリー
   港区麻布台2-1-2 東京アメリカンクラブB1
【入場無料】
※会員制クラブですが、ギャラリーのみ非会員でも入場できます。但し、他の館内イベント等で何らかの制限がかかることもあります。
※ご購入は会員・非会員に関わらず可能です。お受け取りは会期終了後以降になります。
詳しくは館内スタッフにお尋ねください。

(会期中は当記事をトップに表示します)

ご無沙汰しております2018/03/16 10:40

諸般の事情によりこちらのブログ更新をサボっておりました。今更ですがこれ、桜の季節に書いた記事です(←おいおい)
(8/7記)
以下、本記事。
ダブル受験の荒波に揉まれ、膨大な事務作業と入金(泣)に追いまくられ、二回の卒業式を終え、気づけば三月も半ば。この不定期にも程がある辺境ブログをまだ観ていただいている皆さま、大変ご無沙汰いたしまして申し訳ありません。今後はもうちょっと頑張ります。いやホントに。

さて、話は数か月前に遡って。

今回の東京アメリカンクラブでのバザー、一日のみだったにも関わらず、多くのお客様においでいただきました。皆さま本当にありがとうございました。
当日の様子
実家の蔵に眠っていた昭和の和紙の数々が若い姪っ子の手で引っ張り出され、アンティーク和紙として日の目をみました。それも東京アメリカンクラブというゴージャス&ラグジュアリーな場所で。
姪っ子の慧眼は大当たり、アンティーク和紙は飛ぶように売れ、さらにご注文まで!
こちらも榮子さんの手による、紫に霞む富士の山。
アンティーク和紙
キレイに額装されて飾っていただいております。パッと見油絵か水彩画のようにも見えますね。お買い上げ、本当に本当にありがとうございました!

続いてきた理由【特別篇】2017/11/29 15:47

ひとつ前の記事でご紹介した
「越前和紙人間国宝 岩野市兵衛さん×東大襖クラブ@駒場祭」
盛況のうちに無事終了いたしました。お忙しい中参加してくださった皆さま、誠にありがとうございました!
駒場東大11号館 看板
 当日11/25(日)、私は諸般の事情にて午後の部から参加。折しも午前中の人身事故で止まっていた井の頭線が動き出したばかりで、渋谷はいつも以上の人…と思ったら、乗客がほとんど駒場東大前で降りるじゃありませんか。狭い駅舎は人で満杯。聞くと三日間で15万人以上の人出らしい。正門から11号館はほど近いが大量の出店と人波に阻まれる。恐るべし駒場祭の集客パワー。
 辿り着いた1101は200人ほどのキャパ、大学の教室としてはこじんまりしている。入退場自由なのでドアは常時開放、外の賑やかな声が入る。瞬間、大丈夫かな?気が散らないだろうかと心配に。
しかしそこはさすがの市兵衛さん、口を開くや流れ出るその言葉に誰も彼も引き込まれてしまう。難しい言葉は何もない、ごくごくシンプルな語り口で時々ユーモアも交え、言葉がすんなり頭に染み込む。当ブログで「続いてきた理由」というシリーズをつらつら書いてきましたが、まさに岩野市兵衛さんという存在そのものが、越前和紙の続いてきた理由でした。以下に一部要約を載せますが、実際に耳で聞いた方がずっといいです。

〇楮100%に拘る、製法に拘る
奉書といえば楮だが、100%のものは今は少ない。国産楮は職人の不足により生産高が激減しているが、四季のある日本で育った楮は皮が柔らかく、使う薬品も少なくて済むので今も何とか手に入れて使っている。
楮は繊維を長いまま残すため大部分を手作業で叩く。でんぷん質が残っていると虫が食うため、流水の中で塵取りをしよく洗う。水と原料を混ぜ合わせるためトロロアオイやノリウツギといった粘性のある植物の液を混ぜてかくはんし、一枚一枚厚みを確認し加減を調整しつつ紙を漉く。こうして何層にもなった楮100%紙は薄くめくることができ、虫食いもせず保存性が高いことから、今は版画用紙だけでなく美術品の修復にも使われている。(ルーブル美術館等に納めている)
〇需要第一
「求められるから」作り続けている。世の中がどんなに変わろうが、便利なものがたくさん出てこようが、顧客の求める品と品質に応えることが使命である。
〇越前和紙の職人の強み
越前和紙が1500年も続いてきたのは、紙漉きに向いた不純物の少ない豊かな水の恵みと、どんな難しい紙でもやってのける職人の技術と気概があったから。大変な仕事なので今後ますます職人は少なくなっていくと思うが、どこからでも来て紙漉きをやってほしい。

 市兵衛さん、とにかく年齢を感じさせない。受け継がれた知見と経験に裏付けされた数値がポンポン出て来る。かつて職人は商人でもあった、一人で何役もこなしたと以前書いたが、まんまその通りのお方。帰りは姪とともに東京駅までご一緒したが、電車の中でも背筋シャキーン、人混みをすいすいと通り抜け、どっちが送られてるのやらわからない体たらく。別れ際素晴らしく美しいお辞儀をされ恐縮する私たちに、家にお土産を買っていくからとさーっと軽やかに階段を下りていかれた。
「人間国宝というのは製造工程が認定されたというだけで私という人間のことじゃない」
と謙遜なさっていたけれど、いやいや正真正銘、日本の宝です。どうぞいつまでもお元気で!というか私体力も気力も圧倒的に負けてる…私の方がお元気しなきゃ…。

参考までにこちらのリンクもどうぞ:
市兵衛さんご愛用の那須楮を作っている斎藤さん