続いてきた理由 十一2018/10/24 10:11

久しぶりに再会「続いてきた理由」でございます。

諸々あって、この間福井に単身帰省してまいりました。冠婚葬祭以外かつ家族抜きで福井入りしたのは…一回くらいはあったかな。思い出せない。
さて。大人の休日倶楽部会員限定のお得な「北陸フリーきっぷ」を手に、何年振りかわからない福井駅に降り立ちましたら、以前勝木書店前にあった福井鉄道(私鉄)の駅が西口出てすぐの場所にあるじゃありませんか!何これ新しくてキレイ!しかも電車が、
福井駅西口福鉄
FUKURAMですってよ奥様!いつのまにトラム型に!
こ・れ・は!カワ(・∀・)イイ!!
対面の丸っこい座席、ディズニーのより広々してて快適。いやホントに。一気に目覚める私の中の乗り鉄成分、これはテンション上がる。
今回の最初の目的地は「福井県立歴史博物館」。可愛いFUKURAMに乗ってほんの十数分で着いた田原町駅もこれ。
木造のすっきりとしたデザイン、シンプルでオシャレ。
しかし本当をいうと歴博に行くにはバスの方が近いし安い。福鉄のあまりの変わりっぷりについ乗ってしまったが、田原町駅からはフェニックス通りをてくてく歩いて十五分ほどかかる。バスだと隣接する公園前に停車するのでもっと楽に行ける、多分。
ちなみにこの辺りは明道館中学、北陸高校、福井大学、仁愛女子大など立ち並ぶ文教地区である。ともあれ幾久公園に入る。
テニスコートなどを横目に見つつどんどん奥に進むと、これまた新しくてキレイな建物。
実を言うと、福井歴博初の訪問でございます。
幕末明治福井150年博」の一環としてのこの企画。討幕派でも佐幕派でもない「公儀」を掲げた福井藩の動きを追った、とある。
この超気合の入ったポスターからもわかるように、物凄く充実した展示だった。NHKヒストリアの特集の影響もあってか、平日だというのに結構な人の数。皆さん一つ一つじっくりご覧になられていました。勿論私も。それにしても各地から集められた膨大な古文書の種類と数には驚いた。本当に眼福。筆書きって美しい、そして生々しい。安政の大獄で捕まった人たちの名前の上に、遠流だの死罪だの付箋が付いてるのにはちょっと冷える。
圧巻はやはり橋本佐内の啓発録。字が小さくて全部読み切れないが、これは本を買ってでも読むべき。15歳の恐るべき知性、未だに国内で学力上位を誇る福井県の底力の理由の一つが此処にある。超グローバル思考で怜悧冷徹、若くして刑に処されてしまったのも、発する言葉が、動きが、周囲に大きな影響力を与えずにおかなかった、その存在そのものに怖れをなしたものか。

歴博にこの「150年博」の冊子が置いてあるんだけれども、これまたとんでもない大掛かりな企画で、福井県の全文化施設をあげて多岐にわたる特集を組んでいる。私は幕末の辺りはぶっちゃけあまり興味が無かったのだが、
・松平文庫「士族」 福井文書館
・夏目漱石自筆のはがき(芳賀矢一宛) 福井県立こども歴史文化館
・御用諸向留(加藤河内家):太政官札製作に尽力 武生公会堂記念館
・水戸天狗党 兜のくわ形 能楽の里 文化交流会館
・駕籠(現存する唯一の将軍用男駕籠) 福井県立若狭歴史博物館
…書ききれない。
全部つぶさに見て回るとなると少なくとも一か月は必要かと。ああああ、何も無ければ行脚したい。どなたか、全館コンプリートブログなど書いておられぬものでしょうか。

ちなみに歴博には常設展もあり、こちらも中々です。
昭和のくらしエリアは撮影可なのも嬉しい。
こういうのを見ると、やたら断捨離と言って今必要でないもの全部捨てちゃうのもどうなの?て思ってしまう。ずっとずっと未来、自分がこの世からいなくなった後も、特に意味なく取って置いた物がこうして誰かの目を楽しませることが出来るかもしれない、って何か良くない?(勿論多すぎる物で子孫を困らせるのはダメだけど)。
個人的なお気に入りは、各地のお弁当の包みや割りばしの袋をキレイに貼りつけて、日付・天気・場所・お弁当の内容と味まで詳しく書きつけてるノート。これ完全にブログですよな(笑)。日本は世界一ブロガーが多いと聞きますが、やっぱり好きなんだよねこうして記録することが。
あと忘れちゃいけないオープン収蔵庫。これすごく見ごたえがあります。うっかり見過ごしてしまいそうな場所と「え、ここ入っていいの?」という雰囲気に尻込みしますがそこはガンガン行きましょう。福井市の昔を知る人には懐かしい「だるまや」の遺物がわんさか見れます。独特の、やや禍々しい感じがまたたまりません。

約一時間半、見て回ったら疲れたので休憩。
歴博茶房「ときめぐる、カフェー。」
焼きたてですよーと勧められたサクサクのコロッケパンとブルーベリーパン。コーヒーともども美味しうございました。
名残惜しくも歴博を出て、再度福鉄に乗るべく田原町駅へ向かったが、同じ道(フェニックス通り)を通るのは何だかなと思い脇道に入ったのが運の尽き。はい迷った!しかし明道館中学の、遠くからでも超目立つ校舎のお蔭で、十分ほど遠回りした程度で元の道に戻ることが出来ました。急行に乗り遅れて20分待つはめになりましたが(^_^;)まあそれもまた良きかな。

帰りの福鉄、越前武生まで約一時間の旅。垢ぬけたトラムもいいけどやっぱりコレよね。帰宅時間だったので乗客は多め、学生や勤め人。
暮れ行く車窓、一日の終わり
思い出しますねえ。高校時代、授業が終わってすぐ飛び乗って映画を観に行ったっけ。忘れもしない「2001年宇宙の旅」。あれは凄かったなあ。
越前武生駅に着いた頃にはとっぷりと日も暮れ、さてどうするか。タクシーでさっと帰るのもいいけど、ここはあえて路線バスで。
高校以来久しぶりのバスは五時半出発、乗客は私一人。若干コースに変化はあるものの、窓から見える風景はあの頃と同じ。というか夜なのでよく見えないだけなのだが(笑)そうそう、このくらい暗かった。
あまりに和み過ぎて写真撮るのも忘れた。というより、カメラを構える時間が何か勿体ない気がして、ただひたすらにぼーっとしてしまった。
結局終点の「和紙の里」まで貸し切り状態のバス。降りたところで入れ違いに高校生っぽい女子が一人乗っていった。うん、ちゃんと生きて続いてるこの路線。今後も頑張ってくださいまし。
そこから小学校時代の通学路をてくてく、実家に着いたのは6時過ぎ。福井駅に降り立ってから約五時間、色々と実り多く楽しいプチ一人旅でした。

【参考文献】
特別版・幕末維新の激動と福井 福井県立歴史博物館

神と紙のまつり2018 その5(終)2018/10/05 16:31

5月5日、続き。
大瀧神社を出て、新在家、定友、不老と廻って来た神輿。岩本神社にて、ついに最大のクライマックスを迎えます。
岩本神社の急な階段を上る神輿。奥にあるお社にお参りを済ませ、ちょっと休憩したら
とりま回る。
廻る。
いい感じに回ってます(いろいろと
おいさーおいさ
おいさ、おいさ
まだまだ回る
おいさおいさ
おいさおいさ、
まだまだいくぞー
帰らん帰らん
もうちょっといよさ、いやいやもう行かな
少しでも長い事いらしてほしい、我らの神様
押し合いへし合い、やっと鳥居の階段を下りて再び参道へ。大瀧神社に向かいます。担ぎ手は疲労困憊のはず、あと一息頑張れー。
大瀧神社に帰って来た神輿。日もとっぷりと暮れた。
里宮での神事を終え、ついに奥の院への帰途に就く。
権現山の上り口に、名残を惜しむ人の波。
ひとしきり回り、夜の山に帰っていく。お蔭様で楽しいお祭りでした、道中お気をつけて。ごゆっくりお休みください。

紙の神様は女神様、越前和紙の紙漉きは女性が主体。昔から男性と同じく手に職を持ち共に働いてきた。だからこの土地では古来から女性も強い。

廻り神輿は五箇の神社を巡る。各々の集落で川上御前を乗せた神輿を少しでも長く引き留めたいとせめぎ合う。全走行距離5キロはあるだろうか?それから権現山のつづら折りをえっちらおっちら、奥の院までお送りする。途中休みはあるにしろ、お昼過ぎから夜九時前までかかる、かなりの重労働だ。
大祭だから特別ではない。年に一度の春祭りも同じ。それをずっと続けてきた、1300年も!
金がどうの利益がどうのではなく(それも大事だけど)、自らに与えられた役割に対して相応の働きをこなす、男女限らずそういった「仕事」へのポテンシャルもリスペクトも高い土地だ。その根本であり象徴である川上御前への愛の強さも、当然であり必然なのである。

【参考資料】
千参百年大祭チラシ
紙祖神岡太神社・大瀧神社 壱千参百年大祭・御神忌
(発行:壱千参百年大祭・御神忌実行委員会)

神と紙のまつり2018 その42018/10/03 16:04

ついにお祭りも最終日。朝から抜けるような青空。

5月5日
触れ太鼓の音からまもなく、やってきた。
大祭なので神輿は二台、
時間差をつけてやってくる。
前回の大祭時は休憩所だった、
我が家の前で「もんで」くれた神輿。
ありがとう、きっと父も喜んで観ていたと思います。
この後神輿は五箇を廻り、最後に大滝神社へと戻ってきます。
まだ先は長い。

というわけで唐突にお峰上り。
といっても私は上ってないんだけれども(笑)此処に住んでいる間はほぼ毎年上っていた山ですので、手に取るようにわかる。これはお峰の登り口へと続く道、左側は大瀧神社境内。
権現山、登山道入口付近です。
道の右側、川の流れる音が聞こえます。緑が綺麗
五月はお峰上りに一番良い季節。
咲き乱れております。
山道に入りました。ここをくるりと回るといきなり結構な勾配に、
「山伏岩の跡」
昔は女人禁制だった奥の院。この辺りに山伏が立ち検問していたそうな。
どこまでも続くつづら折り。
暑い位の日差しも、うっそうとした木々に遮られ
爽やかに森林浴
ここを神輿担いで上り下りするんですのよ。
見上げると木々の間から抜けるような青空。
「神馬・神くらの化石
神を乗せた馬がここに立って里山を守っておられたそうです。今は崩れて原型を留めておりませぬが。
展望台。
中間地点の鳥居。
一休みしたら木漏れ日の下もうひと頑張り。
「神馬の足跡」
神代の昔、この山を巡って神争いがあったという。その時日野山上より飛来された神のまたがった馬の足跡、だそうな(誰が勝ったんだろう)
麓の景色がちらり。けっこう高く上ってきたことがわかる
もう一息
「み火たき所の跡
ここまで来たらもう目と鼻の先!
いわゆる「極楽坂」。平坦になった道、おわかりいただけるだろうか
下っている部分も。
かつて四十七坊という威勢を誇った「大瀧寺」、昔はこの辺りにも建物があったのだそうな。
着いた!
さあ奥の院へ
手水所。ご不動さんがいらっしゃいます
大瀧神社本殿。
右側に、川上御前がいらっしゃる岡太神社。
左に八幡神社、その脇を少し上ると御神木の大杉がどーんと立っております。権現山頂上付近についてはこちらのブログ記事を
(素晴らしいブログです!必見)

下りはちょいと余裕をみせて
眺めを楽しみつつ
次回は私も登ろうっと。体重落として体力つけないと(泣)。

さて御神輿は今どのへんかな?
次回へ続く!

神と紙のまつり2018 その32018/10/01 20:04

さて大祭も中日でいよいよ佳境。雨もすっかり上がって青空の見える朝。
大瀧神社入り口

五月四日
例大祭
神饌献饌(神様へ供物を捧げること)
神輿殿より、順繰りに
お社に近づくにつれ、受け取る人の年齢が上がっていくと思われる
2009年の時は、この中に父もいた。
何処かで観ているかな。きっと神様のすぐそばの特等席で。
浦安の舞を舞う巫女さんたち、
紙漉きを教える「紙能舞」を舞う川上御前
教えられたとおり紙を漉く「紙神楽」、紙漉き歌も朗々と。
みんな地元の小学生たち。
唯一無二の時と場と人、順繰り順繰りに繋がっている。

今夜は文室の川上御前がお帰りになられる。御名残り惜しむ奉納の楽と舞



次にいらっしゃるのは20年以上先。あちらにもお帰りを今か今かと待っている皆さまがいらっしゃる。どうぞ道中お気をつけて、また逢う日まで。
【参考資料】
千参百年大祭チラシ
紙祖神岡太神社・大瀧神社 壱千参百年大祭・御神忌
(発行:壱千参百年大祭・御神忌実行委員会)

神と紙のまつり2018 その22018/09/20 21:24

前日から続く雨の中、大祭の行事が粛々と行われます。

五月三日
法華八講
(天台眞盛宗法儀団福井教区支部の皆さま)
いまだ雨やまず、傘をさしかけつつ大瀧神社へ向かう。先導は区長さんたち
法華八講の行列
屋根は少々無粋だけれども仕方ない。それにしても皆さまお声がいい
前日からの雨のため屋根付き

あいにくの雨であまりいいお写真が撮れてない……

もっとマシな画像を観たい方は2009年大祭の方をご覧くださいませ。

そもそも法華八講て何?

法華は「法華経」、仏教の開祖・釈尊が説かれた諸経の中で、涅槃経と併せて最後に説かれたとされる経。天台宗では最高の法(一乗妙法)、仏になることのできる唯一の法(乗り物)を意味します。八巻で構成されているこの法華経を八座に分け、一座ごとに問者・講師間で問答往復(論議)させながら、仏説の真理を明らかにすることを目的とした講讃儀式法要を「法華八講」といいます。
法華経についての問答、前後に唱匿(秘曲)、散華、法華讃嘆などの伝統的な天台声明で構成される、厳粛で華麗な音楽的法要でもあります。

いつごろから、なんのために?
八世紀末ごろから、神仏習合が進む各社寺や宮中等で
追善・奨学・試験・祈願・神仏法楽
のため盛んに修されてきました。平安の頃には特に
追善供養
逆修(ぎゃくしゅ):生前に自ら仏事を営み現世安穏・後生善処を祈願
の目的で行われていたようです(源氏物語にも出てきます)。
現代でも天台系の寺院やこれらに関係の深い神社等で年中行事また節目の祭事等に執行されています。

何故大瀧神社で?
泰澄大師が開いたとする大瀧神社を、別当として管理していた大瀧寺はかつて四十八坊を擁する一大勢力でしたが、天生三年(1575)織田信長軍による一向一揆討伐の際一山ことごとく灰燼に帰します。現在確認できる最古の資料、文明年間(1469-1487)の大瀧神社文書「大瀧寺寺庫収納田数帳」にて、大瀧寺の奉仕のもと年中行事の祭祀事として法華八講が奉修されていたとあります。
大瀧寺焼滅以降、歴代領主の手厚い保護により大瀧児権現は復興しました。それまで特権的な祭祀集団であった宮座は家単位で担当する当屋制となり、年忌大祭や開帳年にあたる節目の年は、天台宗寺院であった府中印接寺・新庄村放光寺(現在ともに天台真盛宗)に出仕を依頼、法華八講を執り行うようになったようです。
その後明治期の神仏分離令により中断しましたが、平成4年(1992年)に128年ぶりに復活。今年で三回目の奉修となります。

…えーと、長々書いたわりに始まったきっかけは不明ですね(^_^;)どうもかなり昔からやってたようだからやりましょうということみたいです。神仏習合の象徴のような催しでかつては全国でこの風景が見られたらしいですが、明治以降は激減。出来れば今後も続けていってほしいものです。
だって、お坊様が神様を呼ぶんですよ!瞬間的にですが、全国の神様がこの場に集まるという……胸熱じゃないですか!

フルに行うと朝夕一座ずつ四日間で(!)講ずるものらしいですが、今回は壱の座・五の座・八の座という抜粋版。特に五の座は「薪の行道」があるため「五巻の日」として人気が高かったようです。
「法華経を我が得しことは薪こり菜摘み水汲み仕へてぞ得し」

湯立の神事
「湯の花」の神事ともいわれ、神前の大釜で湯を沸かし、神官または巫女あるいは修験者がその熱湯に笹をひたし、湯玉(湯の花)を自分の体や参詣者に振りかけ、神意をうかがったり身を浄めたりします。
(※実は今回観そこなっちゃった!でもこちらはまた観られるよ!)

奉納ライブ
大祭ならではのこの、ありえない位置!なんとお社の真正面にステージが!
(いつものお祭りでは下の境内でやります)
ステージはお社の真正面
罰当たりというなかれ、奉納ですから!地元の子供たちやお年寄り、中学吹奏楽部や大人バンドの演奏をバックアップ、楽しむ皆様の笑顔を一緒にご覧になっておられるのです、きっと(´▽`)
地元バンドの皆さま
肌寒い夜でしたが熱いステージでした!(とお約束の〆)

【参考資料】
千参百年大祭チラシ
紙祖神岡太神社・大瀧神社 壱千参百年大祭・御神忌 法華八講
(発行:壱千参百年大祭・御神忌実行委員会)
コトバンク、wikiなど