神と紙のまつり2018 その5(終)2018/10/05 16:31

5月5日、続き。
大瀧神社を出て、新在家、定友、不老と廻って来た神輿。岩本神社にて、ついに最大のクライマックスを迎えます。
岩本神社の急な階段を上る神輿。奥にあるお社にお参りを済ませ、ちょっと休憩したら
とりま回る。
廻る。
いい感じに回ってます(いろいろと
おいさーおいさ
おいさ、おいさ
まだまだ回る
おいさおいさ
おいさおいさ、
まだまだいくぞー
帰らん帰らん
もうちょっといよさ、いやいやもう行かな
少しでも長い事いらしてほしい、我らの神様
押し合いへし合い、やっと鳥居の階段を下りて再び参道へ。大瀧神社に向かいます。担ぎ手は疲労困憊のはず、あと一息頑張れー。
大瀧神社に帰って来た神輿。日もとっぷりと暮れた。
里宮での神事を終え、ついに奥の院への帰途に就く。
権現山の上り口に、名残を惜しむ人の波。
ひとしきり回り、夜の山に帰っていく。お蔭様で楽しいお祭りでした、道中お気をつけて。ごゆっくりお休みください。

紙の神様は女神様、越前和紙の紙漉きは女性が主体。昔から男性と同じく手に職を持ち共に働いてきた。だからこの土地では古来から女性も強い。

廻り神輿は五箇の神社を巡る。各々の集落で川上御前を乗せた神輿を少しでも長く引き留めたいとせめぎ合う。全走行距離5キロはあるだろうか?それから権現山のつづら折りをえっちらおっちら、奥の院までお送りする。途中休みはあるにしろ、お昼過ぎから夜九時前までかかる、かなりの重労働だ。
大祭だから特別ではない。年に一度の春祭りも同じ。それをずっと続けてきた、1300年も!
金がどうの利益がどうのではなく(それも大事だけど)、自らに与えられた役割に対して相応の働きをこなす、男女限らずそういった「仕事」へのポテンシャルもリスペクトも高い土地だ。その根本であり象徴である川上御前への愛の強さも、当然であり必然なのである。

【参考資料】
千参百年大祭チラシ
紙祖神岡太神社・大瀧神社 壱千参百年大祭・御神忌
(発行:壱千参百年大祭・御神忌実行委員会)

神と紙のまつり2018 その42018/10/03 16:04

ついにお祭りも最終日。朝から抜けるような青空。

5月5日
触れ太鼓の音からまもなく、やってきた。
大祭なので神輿は二台、
時間差をつけてやってくる。
前回の大祭時は休憩所だった、
我が家の前で「もんで」くれた神輿。
ありがとう、きっと父も喜んで観ていたと思います。
この後神輿は五箇を廻り、最後に大滝神社へと戻ってきます。
まだ先は長い。

というわけで唐突にお峰上り。
といっても私は上ってないんだけれども(笑)此処に住んでいる間はほぼ毎年上っていた山ですので、手に取るようにわかる。これはお峰の登り口へと続く道、左側は大瀧神社境内。
権現山、登山道入口付近です。
道の右側、川の流れる音が聞こえます。緑が綺麗
五月はお峰上りに一番良い季節。
咲き乱れております。
山道に入りました。ここをくるりと回るといきなり結構な勾配に、
「山伏岩の跡」
昔は女人禁制だった奥の院。この辺りに山伏が立ち検問していたそうな。
どこまでも続くつづら折り。
暑い位の日差しも、うっそうとした木々に遮られ
爽やかに森林浴
ここを神輿担いで上り下りするんですのよ。
見上げると木々の間から抜けるような青空。
「神馬・神くらの化石
神を乗せた馬がここに立って里山を守っておられたそうです。今は崩れて原型を留めておりませぬが。
展望台。
中間地点の鳥居。
一休みしたら木漏れ日の下もうひと頑張り。
「神馬の足跡」
神代の昔、この山を巡って神争いがあったという。その時日野山上より飛来された神のまたがった馬の足跡、だそうな(誰が勝ったんだろう)
麓の景色がちらり。けっこう高く上ってきたことがわかる
もう一息
「み火たき所の跡
ここまで来たらもう目と鼻の先!
いわゆる「極楽坂」。平坦になった道、おわかりいただけるだろうか
下っている部分も。
かつて四十七坊という威勢を誇った「大瀧寺」、昔はこの辺りにも建物があったのだそうな。
着いた!
さあ奥の院へ
手水所。ご不動さんがいらっしゃいます
大瀧神社本殿。
右側に、川上御前がいらっしゃる岡太神社。
左に八幡神社、その脇を少し上ると御神木の大杉がどーんと立っております。権現山頂上付近についてはこちらのブログ記事を
(素晴らしいブログです!必見)

下りはちょいと余裕をみせて
眺めを楽しみつつ
次回は私も登ろうっと。体重落として体力つけないと(泣)。

さて御神輿は今どのへんかな?
次回へ続く!

神と紙のまつり2018 その32018/10/01 20:04

さて大祭も中日でいよいよ佳境。雨もすっかり上がって青空の見える朝。
大瀧神社入り口

五月四日
例大祭
神饌献饌(神様へ供物を捧げること)
神輿殿より、順繰りに
お社に近づくにつれ、受け取る人の年齢が上がっていくと思われる
2009年の時は、この中に父もいた。
何処かで観ているかな。きっと神様のすぐそばの特等席で。
浦安の舞を舞う巫女さんたち、
紙漉きを教える「紙能舞」を舞う川上御前
教えられたとおり紙を漉く「紙神楽」、紙漉き歌も朗々と。
みんな地元の小学生たち。
唯一無二の時と場と人、順繰り順繰りに繋がっている。

今夜は文室の川上御前がお帰りになられる。御名残り惜しむ奉納の楽と舞



次にいらっしゃるのは20年以上先。あちらにもお帰りを今か今かと待っている皆さまがいらっしゃる。どうぞ道中お気をつけて、また逢う日まで。
【参考資料】
千参百年大祭チラシ
紙祖神岡太神社・大瀧神社 壱千参百年大祭・御神忌
(発行:壱千参百年大祭・御神忌実行委員会)

神と紙のまつり2018 その22018/09/20 21:24

前日から続く雨の中、大祭の行事が粛々と行われます。

五月三日
法華八講
(天台眞盛宗法儀団福井教区支部の皆さま)
いまだ雨やまず、傘をさしかけつつ大瀧神社へ向かう。先導は区長さんたち
法華八講の行列
屋根は少々無粋だけれども仕方ない。それにしても皆さまお声がいい
前日からの雨のため屋根付き

あいにくの雨であまりいいお写真が撮れてない……

もっとマシな画像を観たい方は2009年大祭の方をご覧くださいませ。

そもそも法華八講て何?

法華は「法華経」、仏教の開祖・釈尊が説かれた諸経の中で、涅槃経と併せて最後に説かれたとされる経。天台宗では最高の法(一乗妙法)、仏になることのできる唯一の法(乗り物)を意味します。八巻で構成されているこの法華経を八座に分け、一座ごとに問者・講師間で問答往復(論議)させながら、仏説の真理を明らかにすることを目的とした講讃儀式法要を「法華八講」といいます。
法華経についての問答、前後に唱匿(秘曲)、散華、法華讃嘆などの伝統的な天台声明で構成される、厳粛で華麗な音楽的法要でもあります。

いつごろから、なんのために?
八世紀末ごろから、神仏習合が進む各社寺や宮中等で
追善・奨学・試験・祈願・神仏法楽
のため盛んに修されてきました。平安の頃には特に
追善供養
逆修(ぎゃくしゅ):生前に自ら仏事を営み現世安穏・後生善処を祈願
の目的で行われていたようです(源氏物語にも出てきます)。
現代でも天台系の寺院やこれらに関係の深い神社等で年中行事また節目の祭事等に執行されています。

何故大瀧神社で?
泰澄大師が開いたとする大瀧神社を、別当として管理していた大瀧寺はかつて四十八坊を擁する一大勢力でしたが、天生三年(1575)織田信長軍による一向一揆討伐の際一山ことごとく灰燼に帰します。現在確認できる最古の資料、文明年間(1469-1487)の大瀧神社文書「大瀧寺寺庫収納田数帳」にて、大瀧寺の奉仕のもと年中行事の祭祀事として法華八講が奉修されていたとあります。
大瀧寺焼滅以降、歴代領主の手厚い保護により大瀧児権現は復興しました。それまで特権的な祭祀集団であった宮座は家単位で担当する当屋制となり、年忌大祭や開帳年にあたる節目の年は、天台宗寺院であった府中印接寺・新庄村放光寺(現在ともに天台真盛宗)に出仕を依頼、法華八講を執り行うようになったようです。
その後明治期の神仏分離令により中断しましたが、平成4年(1992年)に128年ぶりに復活。今年で三回目の奉修となります。

…えーと、長々書いたわりに始まったきっかけは不明ですね(^_^;)どうもかなり昔からやってたようだからやりましょうということみたいです。神仏習合の象徴のような催しでかつては全国でこの風景が見られたらしいですが、明治以降は激減。出来れば今後も続けていってほしいものです。
だって、お坊様が神様を呼ぶんですよ!瞬間的にですが、全国の神様がこの場に集まるという……胸熱じゃないですか!

フルに行うと朝夕一座ずつ四日間で(!)講ずるものらしいですが、今回は壱の座・五の座・八の座という抜粋版。特に五の座は「薪の行道」があるため「五巻の日」として人気が高かったようです。
「法華経を我が得しことは薪こり菜摘み水汲み仕へてぞ得し」

湯立の神事
「湯の花」の神事ともいわれ、神前の大釜で湯を沸かし、神官または巫女あるいは修験者がその熱湯に笹をひたし、湯玉(湯の花)を自分の体や参詣者に振りかけ、神意をうかがったり身を浄めたりします。
(※実は今回観そこなっちゃった!でもこちらはまた観られるよ!)

奉納ライブ
大祭ならではのこの、ありえない位置!なんとお社の真正面にステージが!
(いつものお祭りでは下の境内でやります)
ステージはお社の真正面
罰当たりというなかれ、奉納ですから!地元の子供たちやお年寄り、中学吹奏楽部や大人バンドの演奏をバックアップ、楽しむ皆様の笑顔を一緒にご覧になっておられるのです、きっと(´▽`)
地元バンドの皆さま
肌寒い夜でしたが熱いステージでした!(とお約束の〆)

【参考資料】
千参百年大祭チラシ
紙祖神岡太神社・大瀧神社 壱千参百年大祭・御神忌 法華八講
(発行:壱千参百年大祭・御神忌実行委員会)
コトバンク、wikiなど

神と紙のまつり2018 その12018/09/18 16:22

9/5より始まった長田和也個展もはや折り返し地点に。
皆さま、この神と紙の木、もうご覧になられましたでしょうか?都内にお出かけ可能な方は是非ぜひお越しくださいませ。
(展示:11:00-21:00、最終日9/24(火祝)は14:00まで)
紙と神の木
さて個展での主たるモチーフとなっているこの木は、岡太神社・大滝神社は川上御前のまします奥の院近く、権現山頂上にございます。
御神木
高さ33メートル、根回り9.8メートルの大木。天然記念物「大滝の大スギ」として地元民に親しまれております。

さて少し時間を遡り、GWに行われた
紙祖神岡太神社・大滝神社1300年式年大祭
についての記事を連続で上げます。
そもそも式年大祭って何?という話は以前書いたこの記事からどうぞ
今回は御神忌(中開帳)という50年に一度という神式の大祭です。次はおそらくもう観られないだろうなと思うと、寂しいというより何か不思議な気がします。

五月二日
お下り(おおり)
白丁姿と紋付袴の駕輿丁番がかつぐ神輿で、山頂の奥の院からご神体を奉迎します。(画像は2013年。権現山中です)
お下り
なお「白丁」とはその名の通り白い衣装を着ています。(はくてい:古代日本の律令制度においては無位無官の公民、調と庸を負担した成年男子を指す)

八照宮 月尾渡御
江戸時代の祭礼記録に残る「八照宮のご神体を月尾神社に迎えた」との記述通り、150年ぶりに月尾地区へご神体が渡御(とぎょ)します。
八照宮とは大滝神社奥の院の境内社名です。つまり権現山から神輿に乗って下りてこられたご神体が、月尾地区へもお渡りになられます。月尾地区とは、権現山を挟んで反対側にある轟井という集落の辺り。これ、地図で見ると大滝神社から奥の院へ続く道と、月尾神社から権現山へ向かう道が繋がっているっぽいんだけど、昔は山を渡っていたのかしら?(後で調べよう
追記※わし太夫より情報。
「八照宮より山道を月尾神社まで下りて、月尾谷の神社を全て廻って大滝に戻って来た」とのこと。昔は月尾神社から奥の院まで神輿担いでお迎えに行っていたらしく、途中に担ぎ手の休憩所があるそうです。

権現様 奉迎
天正3年(1575)、織田信長の大瀧寺攻略の難を木留の地に逃れたご神体が、文室・五皇神社より里帰りされます。
五箇からひと山ふた山廻り込んだ場所。男大迹皇子(のちの継体天皇)が味真野にいた頃、学問所や文庫を置いていたため「文室」という地名になったそうです。こちらでも川上御前は地元の神様として崇敬されています。
雨の中、大滝神社に向かう神輿
岩本神社の上からパチリ。けっこうな雨でしたがお迎えの人出はかなりのもので、傘の列が大瀧神社までまっすぐ続いておりました。

これからふた晩、二人の川上御前が里宮に。積もる話に花を咲かせておられるでしょうか。

【参考資料】
千参百年大祭チラシ(発行:壱千参百年大祭・御神忌実行委員会)