映画HESOMORIのこと ― 2012/06/06 21:41
などといいつつ、入谷監督に見出されるまでほとんど忘れられていた場所でした。
今はもうHESOMORI穴もなくなってしまったけど、石工だったという曽祖父が切り出した石群は風雪に耐え水害にも耐え、今も静かに其処に立っています。
さて映画HESOMORI、先週に続いて二度目の鑑賞(6/6)。キネ旬★四つが効いたか?それともレディースデーだからか?いやいやおじさんがたが結構多いぞ、ということでまずまずの人出だった。
前回はあまりに身近な風景に胸がドキドキして、正直話そっちのけだったのかもしれない。改めてみるとひとつひとつのシーンがとても丁寧に、思い入れたっぷりに作られていることがよくわかって、さらに楽しめた。
物語(フィクション)を書くというのはなかなか難しくて、書き手は登場人物とその背景を知り尽くした上で、ストーリーの流れにうまく彼らをのせていかなければならない。
ましてこの映画はタイムスリップ物、しかも現在と40年前と幕末という3つの時代を扱っている。
各時代の下調べだけでも膨大だったろう、苦労が忍ばれる。もちろん時代考証は小説だろうが漫画だろうがアニメやドラマだろうが、必ずしなければならないことで、特別なことではないが、
ちょっと感動したのは右近の台詞(うろ覚えですが):
(『(戦うのが怖いというのは)人間なら当たり前のことじゃないんですか』という理子の言葉にこたえて)
「いや、あかんのです。こんな平和な時代なら、それでもいい。だけど、自分の時代では、それは、あかんのです」
時代考証というのは服装や言葉遣いや、街の風景といった見た目だけではなく、その時代ならではの考え方や生き方というのもある。というかそっちのほうが大事。昨今の某大河ドラマでは、その辺なおざりにされている気がして、あまり観なくなってしまった。歴史的なエピソードをやたらと恋愛に絡めるところも凄く違和感。恋愛感情というのもスパイスとして必要なのはわかるが、常に第一に来るのはおかしいだろう。昔の人がそんなに四六時中恋だ愛だと言ってたわけない。むしろ抑えた表現の方が引き立つし、感動を呼ぶのに。
話がズレた。
右近の生きる幕末、責任ある立場の人間ならば「自分も何かせねば」という思いで生きていただろう。身分制もあり選択肢が少ない中で、自分の分をいうものを弁えてそれぞれが戦うべきものと戦った結果、体制は変わり新しい時代が始まった。戦うのは何も剣を以てしてだけではない。時には危険を厭わず戦わなければならないこともある。逃げずに立ち向かいたい。右近の台詞はそういう意味である。この映画が作られたのは震災前だが、そこに流れている思いは、震災後に世界を感動させた日本の姿と繋がる。異なる時代をつなぐ思いというのは何も恋愛感情じゃなくてもいいのだ。
といいつつ。右近さんは絶対理子ちゃんに惚れたと思う。
【以下、微妙にネタバレ:ただし個人的な妄想です】
友愛病院前で、理子ちゃんが伊賀並に人質にとられているシーン:
右近が丸腰で理子を助けようとして、危うく脇差で刺されそうに
→すんでのところで伊賀並寝落ち
→思わず理子を抱きしめる右近
→さとし、ムッとして二人を引き離す
→「す、すまぬ」そっぼを向く右近。「いいえ・・・あの、ありがとう」顔を赤くする理子ちゃん
→さらにムッとするさとしの肩をポンポンと叩きニヤつく井口
・・・などというドキドキ胸キュンエピソードもいっこくらい欲しかったかも(すみませんすみません)。というわけで次回は是非、プチプチでいいですからラブも注入お願いします>監督
そんな映画HESOMORIも、東京・名古屋・大阪での上映は残りあと一日!まだ観てない方はGO!ですよ♪
もっと上映館増えて、期間も延びるといいなあ!>映画関係の方
よろしくお願いしまーす(祈)!
ところで、おじ様がたの福井弁はソフトでありながら中々リアルでしたが、
中でも一番自然だったのは渡辺いっけいさん演じるうっちゃん。
「あんなおじさんいるよねー福井に」
ともっぱらの評判でした♪
映画HESOMORI、シネ・リーブル池袋(東京)/梅田(大阪)にて上映。
5/26(土)~6/8(金)モーニングショー。池袋は朝10時から。
越前和紙について永島敏行さん語る!【書き起こし】 ― 2012/05/24 21:57
今日の「ごきげんよう」に出演していた永島敏行さん、越前和紙について熱く語ってらっしゃいました。全国放送のテレビ番組で、こんなに越前和紙が褒められたのは初めて?のような気がする。とっても嬉しかったので書き起こししました♪
(サイコロで「皆さんにお願いしたいこと」を出した永島さん)
僕、全然知らなかったんですけど、
皆さんも知らないと思うんですけど…皆に知ってほしいな、と心からお願いしたいとこですけれども、
福井県の越前で、和紙を漉いているんですよね。
1500年前から和紙を漉いているんですって。
(会場どよめく)
1500年前から和紙を漉いていて、
大正時代や何かには、お札になってるそうなんですよ。
僕も全然知らなかったんですけど。
小堺氏:和紙で作ったお札があった?
(頷きつつ)それを越前市の今立というところなんですけど
透かしとか、そういうのも漉けるんですよね。
小堺氏:すごい技術ですね!
いろんな和紙を作る方がいらっしゃって。
ピカソの絵の、画材になった…越前の和紙を使ってたりするんですね。
横山大観さんや平山郁夫さんのために和紙を漉く、
8人くらいで大きな和紙を漉くわけです。
そういう話を聞いていたら、
昔、レンブラント、400年前のレンブラントも、和紙を使っていたんじゃないか?て。
小堺氏:あの「夜警」なんかの絵の?
(頷く)それはどういうことかっていうと、日本の壺、古伊万里とか、長崎から東インド会社がオランダに送るとき、今プチプチっていう、(緩衝材)ありますよね、あの代わりに和紙を入れてたみたいですね。
小堺氏:はーーー(会場どよめく)
で、オランダに着いたら、壺も素晴らしいんだけど、向こうの人が驚いたの、紙なんですって。
小堺氏:強いから!で、キレイだし!
そう。向こうはパピルス、これ本当に切れやすい、書けない、版画や何かにも写らない紙だった。だからこれはどこの紙だ?ていうことになった。
小堺氏:ほーー(会場どよめく)
それで向こうの美術界で、版画や絵に日本のその紙が使われた。
本当に400年前、世界中でほとんど知られてない。
日本の越前和紙があったからこそ、ヨーロッパで絵画が発達した。
小堺氏:売り込んだわけじゃないんですよね?
売り込んだわけじゃないです。
小堺氏:割れないように詰めておいた紙を「これは何だ?」と。
以前ドキュメント番組でやってましたけど、日本の和紙って、ヨーロッパからすごいんですよね、注文が。
すごいんです!
小堺氏:美術界とかが素晴らしいって言うし。
和紙って、KARAOKEみたく、WASHIで英語になってるんです。
小堺氏:すごい国だね!
すごい国だと思います。今だと、ランプシェードとかもあったり。
小堺氏:いろんなものに使えますもんね。
ええ。
(紙漉き職人には)女性がけっこう多くて。
もし興味があったら、越前に行って紙を漉いてみて。
一生出来るみたいですから。
小堺氏:一生、技術を持てば、年齢いっても逆にどんどん腕が上がっていって。
そう、腕が上がっていって、人間国宝とかになっちゃったり。
小堺氏:(紙漉き職人)若い人も増えてるんですって!
<終>
こんな素敵な永島さんが主演の映画「HESOMORI」
いよいよ5/26(土)から東京・名古屋・大阪で上映です!
是非とも観に行かなくては!
映画「HESOMORI」、東京・大阪・名古屋で公開決定! ― 2012/04/01 10:21
☆★☆5月26日(土)~6月8日(金)☆★☆
【東京】
シネ・リーブル池袋 モーニングショー
【大阪】
シネ・リーブル梅田 モーニングショー
【名古屋】
中川コロナシネマワールド
東京・大阪・名古屋の皆様、ぜひぜひ、観に行きましょうね!!!
<<<<追記!!!>>>>
同じ日程で、こちらでも限定上映!見逃した方は是非!
【福井】
福井コロナシネマワールド
【石川】
金沢コロナシネマワールド
【岐阜】
大垣コロナシネマワールド
映画「HESOMORI」いよいよ福井にて上映開始! ― 2011/09/02 18:43
明日3日、福井テアトルサンクにて舞台挨拶
出席する俳優さん:
永島敏行 若林剛 村田雄浩 烏丸せつこ 石丸謙二郎 中村育二 谷田歩 ほか
福井テアトルサンク
鯖江アレックスシネマ
敦賀アレックスシネマ 3館同時上映開始
目指せ全国公開!福井県人は映画館へGO!
どうか埼玉でこの映画を観ることが出来ますように。
よろしくお願い申し上げます。
オフィシャルサイト
http://www.hesomori.net/top.html
「越前和紙」映画HESOMORI紹介ページ
http://www.washi.jp/hesomori/index.html
不思議な石のはなし その2 ― 2010/01/08 16:01
おととしの夏のこと。
実家の庭には、「HESOMORI」のロケ場所と同様、石工の曾祖父が持ち込んだ石が沢山置いてある。その多くはモクと呼ばれる苔(正式名称は不明)に覆われて、木々や植え込みの間にひっそりと佇んでいる。
「あれは”護石”(ごいし)やで。家を守る石なんやから、モクで隠してもうたらあかん。全部取ってまわな」
実家の縁側に腰をかけながら呟いたのは、母の兄、つまり私の伯父である。
くだんの石に、そのような意味合いがあることなど誰も知らなかった。慣れ親しんだ石ではある。兄二人も私も、小さいころよく上に乗ったり飛び石代わりにして(!)遊んでいた。石の根元には地蜘蛛がよく巣をつくっていたものだ。
伯父が言うには、石を扱う人であれば、当然置く位置も何らかの考えや意味を持たせるはず、向きからして明らかだ、とのこと。
後日、伯父は夫婦そろって再度実家を訪問。”護石”の周りの雑草を抜き、伸び過ぎたツツジの植え込みをバサバサと刈り取り、さらに石を覆っていたモクをすべて取り去った。
「ほら、石に白くて丸い模様が浮き出てるやろ? これも苔なんやけど、本来石の表情を作るべきはこの種類なんや。モクやと、息ができんし水気を持つんで、石が割れてしまう」
伯父はさっぱりとした石の姿を満足そうに眺めると、取り去った袋一杯のモクと一緒に帰っていった。
母には、余計なものを除けた石がなんとなく痛々しいような、寒々しいような感じがしたが、父は「(伯父が)ほう言うんなら、ほうかもしれんな」と平然としたものだったという。後から伯父が電話をかけてきて
「えらんことやったかな、あんなにぱぱっと好き勝手にしてもうて。にいさん(父のこと)は気悪うしてなかったかな」
と心配していたが、母は父の様子から考えて、そんなことはない、良うしとっけた、と答えたそうだ。
その話を聞いたあと「HESOMORI」撮影場所である杉林を、次兄とともに訪れた。
川でダムを作って遊ぶ子どもたちの目の先には「南無阿弥陀仏」と書いた石がある。それは林の外を向いて立っているが、入口近くにある「報恩」の石の向きは何故か山側だ。
「うち(実家)の方を向いてるんでないか?」
と呟く次兄に、それなら庭の石と同じように苔を取り払った方がいいのかなと言ったら
「あかん。このままがいいんや。自然のままで」
と返された。
あらためて庭を眺めてみると、確かに石はきれいさっぱりとして、縁側からその姿がよく見える。おととしのことならば、去年の春の祭りのときも、夏休みにもこの姿だったはずなのに、まったく気付かなかった。母にしても、私に話すことすら忘れていた、「HESOMORI」の話が来るまでは。
庭の写真を撮ろうと思ったが、携帯カメラでは……と、夫がカメラを持って福井に来るのを待っていたら、その夜から降り始めた雪ですっかり隠されてしまった。
雪がとける春には何が待っているのだろうか。
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