むかし語り(一)2010/08/23 23:42


 山間にあるその村では、老若男女、動ける者は皆働いていた。村長である祖父の口癖は、男でも女でも、とにかく手に技をつけろ、だった。金は使えばなくなる、人は裏切る。だがいちどつけた技はなくならないし、裏切らない。錆びつかないように日々精進するのだ、と。その言葉通り、村は守られていた。国は乱れており落ち着くことはなかったが、さまざまな手技を持つこの村を、どの王も粗末には扱わなかった。とくに働き手の若者が兵隊に引っ張られずに済んでいたのは、村一番の腕をもつ祖父の力だった。頑固で厳しい男だったが、誰よりも頼りにされ、誰よりも尊敬されていた。

村の中はそのように平和だったが、戦が止むことはなかった。都に近い村や農地はしばしば跡形もなく焼かれた。遠く離れたこの村にも、時々避難民が現れた。皆口もきけないほど疲労困憊している。右頬に酷い擦過傷を負った男が、与えられた水をごくごくと飲み干したあと、荒い息を整えながら言った。ここも危ない、軍がどんどん南へ下っている。悪いことは言わない、村をあげて海岸近くまで逃げた方がいい。

祖父は腕を組んだまま何も言わず男の顔を見つめた。もう一口水を飲み、なおも言い募ろうと口を開けた男を遮るように祖父は言った。わしらの村は大丈夫だ。安心してここに住みつくがいい。ただしお前もお前の家族も、手に技をつけるのだ。わしらが教えてやる。

男は大きく目を見開いて、祖父の顔をまじまじと眺め、ついで振り向きみずからの妻と子ども、弟たちの姿を見た。ややあって皆深々と頭を下げた。男の目には涙が光っている。祖父は微笑み、力強く頷いた。