お久しぶりです ― 2021/01/22 21:31
量、空間、存在 ― 2014/06/13 10:51
洋画・日本画、写真、工芸、彫刻、書といったジャンル別の公募展なのだが、主流はやはり洋画や写真で、応募点数も圧倒的に多い。対する彫刻、まず使用する材質がそもそも重くて大きい、扱いも運ぶのも大変なので、思い立ったら気軽に出品~という感じではない。私も、正直あまり興味はなかった。今回、本当にたまたま、30分ほど彫刻の展示場所にいたのだが、もしかしてもしかしなくとも、これほどじっくり彫刻を眺めたのは人生初めて。
やっぱり絵とか、写真とかのほうが人気だよね、と苦笑しながら仰る先生。
「でも彫刻も、面白いんだけどねえ…」
彫刻は立体なので当然、360度どこから見てもちゃんとした形を成していないといけない。細部まで創る人の気持ちが伺えるその「かたち」は、少し見る角度を変えただけで、まったく違う表情になる。
「これね、こっちから見るのが一番いいの。だけど、反対側からみると・・・」
なるほど。確かに面白い。
ところで、と質問。目の前に、細長い鉄の板を立て曲げたり穴を開けたりして繋げたオブジェがある。
「これも彫刻というんですか?工芸というジャンルもありますけど、それとどう違うんですか?」
先生、ちょっと笑って、でも即答。
「本来は、彫刻というのはその名のとおり何かを彫ったり刻んだりするものだけど、それを作品として評価するときに何が必要かというと、
まず量。十分な量がある、という量感。
それから、空間。物それ自体だけでなく、その物が創りだす空間。
最後に、存在感。
その3つが揃えば『彫刻』なんだよ。まあ、この頃は飾る場所も高層ビルとかで、従来の石やブロンズの仰々しい彫刻より、こういう、縦の線のあるやつが似合う」
な、なるほどー!目から鱗!
工芸は、その名の通り「たくみの芸」。何らかの技術を使いどのようなものを創り出すか、創るための材料・過程・結果すべてがその「物」に凝縮され、物それ自体がすべてを語る。
彫刻は、量を持つ「物」が空間を作り存在を与える。
そう思って眺めると、並べられた作品の一つ一つが俄然いきいきと世界を語り出すような気がしてくるから不思議だ。この歳になっても、知らないことって本当に沢山あるんだなあ。
さて、和紙はどうだろうか?
物としては、間違いなく「工芸」。しかしその工芸品を立てたり丸めたり、組合せたり繋げたり、していけば確実にひとつの「世界」を創る。
量と、空間と、存在。
「工芸」としての枠を超えた和紙の世界を大きく拡げるためのキーワードになるかもしれない。
「福時」直前!南青山そぞろ歩き ― 2014/04/11 23:27
というわけで原宿駅に降り立つ私。原宿といえば竹下通り、ではなく、日本人ならまずはやっぱりこちらですよ。
「昭憲皇太后百年祭」。
神社を出ると外も多くの人出。新しい店に若者の行列。最先端のオシャレな街をつらぬく表参道に、日の丸と提灯が整然と連なる。
春の日差しと素敵な町並を楽しみつつ、ふくい南青山291へ。
291を出て、さてどうしようか。カフェでも回るか?と思っていたら何故か引き寄せられた古書店「嶋田洋書」。学生時代からそれなりにこの辺りは歩いていたはずなのに、今の今まであったことに気付かなかった。なんと49年も続いているお店だそうですよ奥さん。お店の方と楽しくお喋りしてハガキも渡して完璧♪と思ってふと気づいたら写真とってない。仕方ないのでネットから拝借。
今度こそカフェ、と思ったらまた引き寄せられてしまった。291の目と鼻の先、いつも惹かれてはいたが何故か入ったことのなかったうつわ屋さん。こちらも楽しくお喋りし、店員さんイチオシの軽くてもちやすい竹のお箸と、ジャムを心ゆくまでこそげ取れるというヘラを買って↓
サイトを教えていただいたので自分で見てください(怠慢)。
一枝軒(いっしけん)
そのうち私の画像がブログに載るみたいです(顔は外したけど(^_^;))
そんなこんなで慌ただしく、たった二時間少々の「福時」宣伝活動第一弾は終了したのでした。
来週は保護者会やら何やらかんやら目白押しですが、直前スペシャル宣伝活動はまだまだ続くよ!
…かもしれない(よわき)
紙漉のうた ― 2013/04/08 21:53
(画像はわし太夫より:なお歌とは無関係です(笑))
家々に 谷川引て 水湛へ
歌うたひつつ 少女(をとめ)紙すく
水に手を 冬も打ひたし 漉きたてて
紙の白雪 窓高く積む
紙質に 来る人おりまし さねかづら
這いまとはれる 垣をしるべに
居ならびて 紙漉くをとめ 見ほしがり
垣間見するは 里の男子(をのこ)か
黄昏に 咲く花の色も 紙を干す
板のしろさに まけて見えつつ
鳴たつる 蝉にまじりて 草たたく
音きかするや 紙すきの小屋
流れくる 岩間の水に 浸しおきて
打敲く草の 紙になるとぞ
作者は越前国石場町(福井県福井市つくも町)出身の歌人、橘 曙覧(たちばな しょらん)。
※私の見た本だと「しょらん」とあったのですが、wikipediaでは「あけみ」になっていました。どちらが正しいのかもしくは両方正しいのか、確認中。ご存知の方いらしたらご教示ください。
本人は江戸終焉の年(1868)に亡くなったが、その長男が父の残した歌をあつめ、
1878年に『橘曙覧遺稿 志濃夫廼舎歌集』(しのぶのやかしゅう)として編纂。
あの正岡子規が「源実朝以来、歌人の名に値する者は橘曙覧ただ一人」と絶賛。
時代下って1994年、天皇皇后両陛下の訪米の際、当時のアメリカ大統領ビル・クリントンがスピーチの中で
たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時
という曙覧の歌を引用し、再度脚光を浴びることになった。
まさに正真正銘の天才歌人。恥ずかしながら、こんな福井県人がいたことを、今のいままでよく知らないでいた。
さらに。
この「紙漉」の七首、昔紙漉きの村だった福井県坂井郡大安寺付近にて詠まれたという。
大安寺といえば・・・
(大安禅寺HPより)長田製紙所の記事
http://www.daianzenji.jp/index.php?e=50
ちなみにこの大安禅寺、かつて織田信長の攻略により焼きつくされその後再建されたという、大滝神社と似た歴史を持つ。あの時代の越前はどこもかしこもそういう状態だったのかもしれないが、それにしてもちょっと出来過ぎな話。
元々すべてが繋がっているのに、気づかないだけなのかもしれない。降って湧いた御縁のようにみえても、実はいつか何処かで、時空を縫うように明らかな糸が引かれているのかも。
反省しない反省会2012♪ ― 2012/11/28 09:57
正月飾り、オーラむんむんの平成25年版以外に、従来のものも多少在庫あります。
ご用命の方はコメント欄、もしくはメールでお問い合わせください。
なくなり次第終了です。あまり数はないので、ご注文はお早めに!
風は収まりましたが、今日も寒いですね。皆さま如何お過ごしでしょうか?
昨日はインターナショナルバザーの打ち上げで、
飯田橋のアンスティチュ・フランセ(旧・日仏学院)「ラ・ブラスリー・カフェ」
までいってまいりました。飯田橋駅から四谷方面、東京理科大を通り過ぎて「油」の坂を上るとすぐなのですが、一瞬どこにお店があるのかわからない隠れ家的なこのたたずまい。
お客さんの中にはベビーカーのあかちゃん(推定6ヶ月)連れの若いご夫婦もいて、時々ぷにゃぷにゃ言ってたけどもちろんとがめる人など皆無。活発に動き出す前の月齢のあかちゃんには、その時期しか出せない声・仕草がある。もう何しても可愛い、全方位萌えポイントな時期、親がちゃんとしていれば、多少のぷにゃぷにゃなんて全然気にならないどころか、もっと聞かせてほしいくらい。むしろこちらの
「い、いつでも抱っこするわよお母さん!」(←誰も頼んでない)
というオーラのほうが怖かったかもしれん(笑)。
ここのお店を紹介してくれた一人が、暖かい時期には外のテラス席で子どもを遊ばせつつランチしたものだ、と。ホントの大人の店ってのはそういうもんですよね。
と、相変わらず全然関係ない話ばっかで反省の弁はほとんどみられない(笑)楽しいランチでした。参加された皆さま、ありがとうございました♪今後ともなにとぞよろしうお願いいたします!
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