むかし語り(六) ― 2010/09/02 15:29
長のいない村は騒然となった。白馬が、あの隊長のものであることは明白だった。いったい誰がこんなことをやらかしたのか。発覚すれば死罪はまぬがれないどころか、村全体が謀反の意ありと見なされるかもしれない。下手をすれば全員獄に繋がれるか、兵役や労役に引き立てられるか、いずれにしろただではすまない。留守を預かる先の村長であった老人が、真っ白な髭を震わせながら言った。誰がやったか、知っている者はおるか。あやしき振る舞いを見た者、あやしき物音を聞いた者はおらんか。家族の中に様子のおかしい者はおらんか。
村中水を打ったように静まり返った。誰一人、返事をする者はない。先の村長は苦々しげに首を振りながら、村はずれ近くに住む女に声をかけた。首は夜のあいだに運ばれたはず、何かを引きずるような音はせなんだか。背中に乳飲み子、右手に幼子をまとわりつかせた寡婦は縮み上がりながら、何も気づかなかった、うちは日が落ちるとすぐ子どもと一緒に寝てしまう。このところ夜泣きも収まったので、そのまま夜明けまで目が覚めない。先の村長は、その隣そのまた隣と、順に聞いていったが、皆知らない、気づかなかったと言うばかりだった。誰ひとりとして嘘をついたり隠したりしているようには見えなかった。
馬の蹄の音が近づいてきた。皆が一斉に振り向いた。
むかし語り(七) ― 2010/09/06 14:28
祖父の一行だった。緋色の刺繍の入った上着を着た都の役人らしき者とともに馬に乗っている。貴重な手技を持つ村の不審火を重く見た王が、すこしでも速く村に戻れるようにと取り計らったのだ。先の村長は前に進みでて頭を垂れ、人の輪を払って馬の生首を露にした。若い役人の顔色が変わったが、祖父は黙って生首のすぐ側にしゃがみ込むと、じっとその乾きかけた切り口を見ていた。先の村長が途切れ途切れに語る。村の外から持ち込まれたことは明白であること。誰も何も見ていない、何も聞いていないこと。祖父はわかったと頷くと役人を促して己が家にいざない、しばらく出て来なかった。陽が高く差し昇り、行き交う人々の影が短くなった頃、若い役人は馬を飛ばし村を出て行った。
不審火の沙汰はどうなったのか、それにあの生首の件は。役人の姿が村境を越えて消えた途端、皆が祖父の元に集まりだした。祖父は皆が揃ったのを確かめると言った、戦が始まるぞ、と。
むかし語り(八) ― 2010/09/10 22:40
祖父は静かに首を横に振る。今までとはどのくらいの期間をいうのか。お前たちが生まれる少し前までは、若い男は根こそぎ兵隊に取られ、残ったのは女子供と老人だけ、日々の暮らしに追われながら、生きる道はこれしかないと皆で手技を磨いた。その積み重ねが王に認められた、だがそれは、技術を重んじる今の王の間だけだ。王は今謀反にあって戦っている、相手は強く王は劣勢である、もしこのまま負けるということになればこの村はただでは済まない。謀反人は我々の手技など歯牙にもかけない、民は力で抑えればよいというお方だ、例の隊長のようにな。祖父は一気に言い放つと、白馬の生首を指さした。見るがよい、あれが此処にあることの意味を考えろ。あの白馬の持ち主は、今の王に弓引く者であると、都でわしは聞いた。
長い沈黙の後、若衆の中でも一番賢く腕ききで、人望も厚い男が口を開いた。つまり我らの村は謀反人に敵方だと思われている、そういうことか。祖父は微動だにしない。男は更に言った、いや思われている、のではない、お前らは敵だと、向こうはすでにそう決めているのか。祖父は頷き、穏やかだがよく通る声を上げた。
謀反人の軍は既に近くまで押し寄せており、あの山を越えてくるのもすぐだ。もはや一刻の猶予もならない、皆この土地を捨て、逃げるのだ。山が駄目なら何処へ、赤子をおぶった女が怯えた顔で問うた。祖父は答えた、海だ、海に逃げるのだ。海の向こうには人の住む大きな島があると聞いたことがある。必要と有らば海を越え、二度と追手のかからない遠くへ逃げよう。弟は祖父のすぐ側で、反りくり返らんばかりにその顔を見上げていた。
むかし語り(九) ― 2010/09/15 23:48
祖父が戻ってから僅か二日後の早朝、一行は出発した。先頭に護衛を置き、年配者と女子どもを先に歩かせ、後ろから男たちが様子を見ながら徐々に村を出ていった。祖父は村はずれに立ってあれこれと指示をした。私もその傍にいた、祖父と一緒にいるといって聞かなかった弟のため残ったのだ。私もまだ十代の子どもではあったが、村の子どもたちの中では一番体格がよく、力もあった。対して弟は他の子より随分小さかった。弟は祖父の足手まといになるのではないか、自分がいれば何かの助けになる、生意気盛りだった私はそう信じ込んでいた。
最後の一人が村はずれを通りかかった。独り者の若い男だ。しきりに後ろを気にしている。どうした、と祖父が聞くと、出発しようとせず残っている者がいるという。村の人間の顔や声はもちろん家族構成まで全て覚えていた祖父は既に気づいていた、まだここを通っていないものがいる。とりあえず男を先に行かせると、祖父はまっすぐ彼らの家に向かった。
その家には中年の兄弟が二人、刀の手入れをしていた。壁に立てかけられた大小様々の刀が鈍い光を放つ。二人が何者か祖父にはよくわかっていた、数年前に戦場となった村から逃げてきた一家の男たちだ。その身につける技として刀鍛冶を選んだ彼らは、元々が器用であったのか短期間で前からいた者より優れた腕前を得た。彼らの妻子たちは随分前に村を出ている、おそらく後から追っていくと言い含めたに違いない。祖父が口を開く前に、兄の方がこちらに向き直り言った。我らは此処に残る、先に行かれよ、と。
むかし語り(十) ― 2010/09/25 00:22

我らは一度命を救われた。この村に、村長に。この村が此処に無かったら、この村に貴方のような村長がいなかったなら、我らはおそらく野垂れ死んでいたか、何処かで牛馬の如く働かされ、夢も希望もない日々を過ごしていた。いわば我らは一度死んだも同じ、思いがけぬ幸運を受け生きて此処にある、僅かならぬ猶予を与えてくれた人々に報いるのは当然のこと。未来のある若者は護衛として行かせた、此処に残っているのは先行き短い老人ばかりだが、腕はまだまだ衰えておらぬ。多勢に無勢とはいえ、貴方がたが逃げる時間を稼ぐぐらいのことは出来る、力だけで押す小童どもにこの村を簡単には通らせまいぞ。村長は二人を連れて疾く村を離れろ、そして皆を守り逃げおおせろ。護衛の者たちもそれなりに鍛えてやってはおる、きっとお役に立てるだろう。
祖父は全員の顔を見渡し、ひとりひとりの手をかたく握りしめて回ると深々と頭を下げ、弟と私と共にその家を出た。それから村を出るまで一度も口をきかず一度も振り返らなかった。
村境を通りぬけ皆に追いつくまでの間、祖父が問わず語りに呟いた、かれらは元兵士であった、力のみを糧に、血腥い戦場で生きることに疲れ切って逃げてきた兵士たちとその家族だと。かれらが一番嫌ったのは、権力を嵩に威張り散らす小心で狡猾な輩、そういう輩が上につくと死ななくていい人間が大勢死ぬことになるからだ。あの隊長のような?と弟が聞いた。祖父は頷いた。だからあの馬を殺したの?祖父はこの質問には答えなかった。林を抜けると視界が開け、山を登っていく村人の長い列が見えた。一人が足を滑らせそうになったが、後ろにいた若者が支えて事無きを得た。ころころと小石が足元に転がってくる。奇妙に静かな行列の後ろに追いついた時、突然脳裏にある場面が蘇った。あの白馬の首、切り口をじっと検分していた祖父の右目。手を下したのが先程の元兵士たちであるとするならば、村の中にわざわざそれを投げ入れたのは誰だ?自分たちが疑われるようなことを、いやそれより先に、村の立場をまずくするようなことをあの義理堅いかれらがするだろうか。
長々と続く行列を眺めながら、私は身震いした。
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